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「心神喪失者医療観察法案」国会情勢緊迫! 法案は廃案しかない!


修正案趣旨説明と修正案批判


2002年11月30日
京都大学医学部精神医学教室 吉岡隆一

(日本精神神経学会 精神医療と法に関する委員会委員)

11月27日、塩崎議員による修正案の趣旨説明がなされ、修正案概要が示された。すでに再三批判を述べてきたが、また批判を明らかにする。もはや修正案についての批判全般は既に多くの論者が述べているので、ここに繰り返すのは、国会審議の進行がいよいよあらわに示す事になって来た法案の問題点の指摘である。


I  
 趣旨説明で第1にあげられた入院等の要件を明確化し、本制度の目的を明らかにする事に関する説明では、「精神障害を改善するために医療が必要と認められるものに限られ・・医療の必要性が中心的な要件であることを明確にするとともに・・仮に医療の必要性が認められる者であっても、そのすべてを本制度による処遇の対象とするのではなく、その中でも精神障害の改善に伴って同様の行為を行うことなく社会に復帰できるよう配慮することが必要なものだけが対象となる」ことを明確にするための修正である、としている。
 心神喪失・心神耗弱のとくに起訴前の判断の実態が問題であるとの指摘に塩崎議員による趣旨説明もその後の審議もほうかむりしたままである。精神病質者が、この法案の対象者になるかとの水島議員への質問に対して、厚労省はしどろもどろの答弁を返すざまであった。154国会での政府側の答弁(精神病質=完全有責)は実態として虚偽であることは犯罪白書その他から明白なのであり、しどろもどろの答弁はその虚偽を自認するが故に他ならない。もちろん、責任能力判断に関しては法務省こそ回答をすべきである。
 塩崎議員の趣旨説明は、この法案と修正案の意味が、一般医療とは異なるものである事を非常に明確に浮き彫りにした。
 医療の必要性のみならず別の要件が存在すると彼は述べている。(しかしそれは彼の表現によれば非中心的である。)それは何か?彼はそれに触れていない。その説明こそをさせるべきである。ともかく非中心的な何かの要件が特別の立法を呼び出したのである。奇妙な事である。
 心神喪失・心神耗弱は精神障害を前提としているから、医療が必要になることは当然である。ところが「仮に医療の必要性が認められる者であっても、そのすべてを本制度による処遇の対象とするのではな」い、つまり本法案の対象者は医療の必要性一般では決められないことが自白されている。それは何か、それを答えさせるべきである。一般医療では対処が困難なものが存在しそれを特別の対象者とするためであり、一般医療で対処困難なものとは、「同様の行為を行うことなく社会に復帰できるよう配慮することが必要」におかれること、つまり再犯の可能性ゆえに社会復帰が困難なもの、であることを明らかにしたからである。結局再犯予測は必要なのであり、そのための特殊な「医療」が本法案でも修正案でも想定されているのである。
 154国会では6/28日、阪口厚労相は通常の医療と隔絶した仕組みを作ることについて、平岡議員の質問に対して「この場合には再犯を予防するという事が大前提である」と述べているのであり、医療の必要性一般が特別の立法の根拠ではない事を認めている。物忘れがいいのも程があろう。
 また「再犯のおそれ」に関して森山、阪口両大臣とも5/27に可能であると述べそれを修正しているのではないから、この要件の変更は単なる文言のいじりに過ぎない。修正であるのかどうか、正面から聞くべきである。修正でないのなら、再犯のおそれは依然としてこの文言のうちに生きている事が全く明らかになるだろう。
 また高原参考人は6/28に水島議員に対して「措置入院よりもう少し長期的見通しのもとで制度を運用する」と述べたのであり、これら修正案での要件が現時点での医療の必要性の判断だというのは、答弁の修正を意味するのか、聞かねばならない、自己矛盾である。
 この国会の政府側答弁では現時点での医療の必要性が要件であるようなニュアンスを振りまく事に腐心しているが、「再び同様の行為を行うことなく」とは、「将来再び同様の行為を行うことなく」でなければ無意味であり、ばかげた詭弁である。

 司法官関与の必然性について

 「中心的な要件=医療の必要性」という説明は、ますます法案の構造=司法関与と矛盾してくる。
 裁判官の関与は、強制医療を加える以上人権擁護のために必要だとの答弁が塩崎議員によって行われている。これは154国会での裁判官関与の正当化の説明と異なった答弁である。そこでは、再犯のおそれを精神科医にのみ判断させる事は、責任が重いなどの理由が挙げられていた。この変更の意味を問わねばならない。
 第13条の修正は、裁判官は法律専門家として、医師は医療専門家としてそれぞれ意見を述べるという事だが、先の入院の要件について、法律専門家としての意見はどう作られるのか。いつから裁判官は、精神医療の臨床家になったのだ?「医療の必要性」一般には裁判官は素人に過ぎない。したがって、法律家としての専門性にたってこの法案による医療を加える必要性を判断する、とすれば、結局問題は「同様の行為を行うことなく」規定がある故に他ならない事は明白である。
 同様の行為を行うことなく規定に関して裁判官がかかわることが、塩崎議員の言うように人権擁護のために必要になるとすれば、どうしてか、と聞かねばならない。答えは、この法案の構造全体が、高度の人身の自由を奪う事を前提としているからである。これは自明の事柄であるが、提案者に答えさせてこそ生きる質問である。

III  特別な医療について

 前国会では、特別な医療として、怒りのコントロール・マネージメントや被害者への共感のはぐくみを行うといっていた。水島議員は当然にも、この法案の対象者は疾病の大きく関与したケースであってこうした「治療法」の対象とはいえないと反論した。付言すれば、anger managementは、うつ病、慢性疼痛、PTSD、統合失調症等々の疾患や、障害を抱えた家族、帰還兵、被害者、加害者等々の立場にある人人を対象とした認知行動的アプローチであって、なんら特別の司法環境にあることが条件となるようなものではない。
 また、よほど特殊な内容の医療を行うのなら、裁判官はますます素人で関与する意味がない。それにまたそうした特殊な医療を強制的に行うのはそれこそ人権蹂躙ではないか。これも政府側に確認同意を直接ただすべき建前である。とすれば要するに医療の内容面で、格別のものがない本法案が、一般医療に対して特殊なのはその目的と強制性にしかないのである。さらに強制性が導かれる根拠は目的としての再犯予防にしかないのだから、司法関与が必要なのはそこにこそ理由があることになる。
 そうすると裁判官は再犯予防についてあるいは「同様の行為を行うことなく」について自分の意見を法律専門家として述べざるを得ない。すなわち裁判官も将来の予測を行う事になる。ところで裁判官が現在行っている将来の予測は量刑における社会的危険性判断である。すなわち、この法案は刑罰の代替である事が浮かび上がってくるのであるが、刑罰よりも過酷な上限のなさが、この法案にはビルトインしてあるのである。

IV 政府答弁の154国会からの継続性はどうなっているのか。附則説明の重大問題。

 政府案に疑義を持つすべての議員諸氏は、前国会での自分の質問と彼らの答弁を思い起こし、それとの関係の上で、今一度政府に説明を求めなければならない。結局「医療の必要性」とくに「現在の医療の必要性」が要件であるという答弁は限りなく虚偽であることは、審議と説明が進み、前国会での政府答弁からの変更矛盾を指摘すればするほど明らかになる。
 原案はどうして修正案に置き換えられたのか。原案に対して寄せられた疑義に対して154国会で政府側が答弁した事は誤っておりその訂正の上に修正案が作られたのか。今国会で修正案の趣旨説明は前国会での趣旨説明や答弁と矛盾しているように見えるのはどうしてか。いや矛盾しておらず、再犯予防・再犯予測は一貫しているのか、などなどを、彼らにこそ、説明させなければならない。

 さらに見過ごせないくだりが、修正案概要とその説明に存在する。塩崎議員による説明は「本制度による高度な医療水準を及ぼす事により(一般の精神医療の)水準の向上を図ることなど・・が重要であるから」附則をつけるという。
 これでは、今の精神医療が、医療法特例のように、一般医療からの差別的劣位に置いてあること、したがってそれ自体が是正されるべきことが隠蔽された上、本法案の医療をやがて及ぼすことで解決できる(つまり本法案の成立無くしては、改善のための努力を払わない)といっていることになる。車の両輪どころか、再犯予防に従属するのが一般精神医療の改善だと言ったも同然である。さらにこの法案が明らかに社会防衛に重点の偏ったものである以上、社会防衛のための医療としての水準、すなわち長期拘禁や暴力のリスク評価が一般精神医療に求められることを彼らは宣言しているに他ならない。

 とんでもない。これは、一般精神医療の改善のためのリップサービスどころか、公然たる「危険な精神障害者」なる虚像を人質にした一般精神医療改善の放棄宣言であり、改悪宣言である。

V  「現在の医療の必要性」に基づく「同様の行為を行わない」ための入院等決定について=本法案と措置入院を同一視する論点の弱点

 最後に、予測に関して何度も意見を述べてきたものとして、この法案の入院判断が、精神保健福祉法の措置入院と同じ性格の判断によるものである、とする、これ自体が虚偽である前提にあえてたっても、予測不可能問題を飛び越えることはできないことを示そう。この前提に、本法案推進者は、結局しがみつくことになる。(前国会で、森山氏が繰り返し、山上教授が最近論文にもしている論点であって、必ず本国会でも触れられることになるだろう論点である。)

 措置入院では入院時に(自傷は格別であるが)ともかくも他害の恐れを判断しているから、本法案で措置入院と同じ性格にたつ入院決定も可能である、という推進側の主張は、結局、措置入院での入院判断の実態を問えばよいことになる。日本の措置入院に当たるのはアメリカでは民事収容(civil committment)であるが、その研究も既にある。
 Binderらは、民事収容要件(他害の恐れ)とその結果(入院後の問題行動の発生やそれへの対処として処置が必要となった場合)を入院後3日から1週間の枠組みで検討した。その場合の予測の精度は、危険と考えられたものの70%が危険でなかったという程度の精度であった。要するに、措置入院の入院決定における他害の恐れもこうした制限が免れない。したがって入院期間がアメリカのように上限を持つのは正しいという結論は出てきたが、上限がない日本の措置入院やそれより自由を剥奪することが予定されている本法案は極めて問題が多いという結論になる。
 さらに、Binderらに後続するマッカーサー暴力リスク研究は、やはり司法患者ではない一般の急性期病棟退院後20週間の地域内の暴力を予測する現在世界的に最高水準の方法を編み出したが、その場合の予測の精度は高リスクとされたものの半分以上が実は暴力を振るわないというものであった。同研究では暴力行為のベースレートは約20%であり、暴力行為の定義は身体的接触に至る一般的暴力で、刑事手続きに関係するもの以外をも含んだ広い暴力に対する退院判断の精度がこの程度だったのである。(ベースレートの低い現象ほど予測は不正確になり、とくに誤って危険とされる人が多くなるのは数学的真実であって反証の余地はない。)こうした暴力の定義よりずっと狭い「同様の行為」(前国会では犯罪白書を援用した7%弱というベースレートが示されていた)「を行うことなく」社会復帰できるという判断は、もっと間違え、実際には同様の行為をおこなうことない人を予防拘禁することにしかならないのである。
 おそらく世界の研究者たちは驚き拒絶し笑殺するだろう。短期で上限ある拘禁がかろうじて正当化されることを示したつもりの自分たちの研究が、日本の国会論議では長期・無期限な拘禁可能だという論拠に転用されたことを知ったなら。マッカーサー研究での平均入院期間は1−2週であった。日本の措置入院は20年以上の入院を多く含んでいる。その上にまだ、長期拘禁必至の医療を作ってそれが一般医療の水準に及べばよいと主張するとは、もはやグロテスクな冗談以外の何者でもない。

 この論点は、既に日本精神神経学会精神医療と法に関する委員会報告9/20(ホームページhttp://www.jspn.or.jp)に触れたので参照していただければ幸いです。


「心身喪失者医療観察法案」 国会審議等

自民党塩崎議員修正案(衆院法務委員会)

池田小学校事件および特別立法に関連する声明一覧

心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)


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