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「心神喪失者医療観察法案」国会情勢緊迫! 法案は廃案しかない!


ステッドマン報告

精神衛生法改正国際フォーラム

危険性の予測:信じられていることと真実

1988年頃公表
Henry J. Steadman, Ph. D
Boreau of Evalnation Research, New York State Office of Mental Health.

 1970年代の合衆国では、法律システムが精神保健システムに立ち入るのをなるべく制限しようとしていました。また私が理解する限りでの現在の日本においては、危険性と言う概念を論ずることが、より多くの人々を精神保健システムに引きずり込む方向に網を広げることに結びつくようです。私が危険性の予測についてこれからお話することは、このいずれの法律的環境においても適用できるものであろうと思います。
 また、ストーン先生が昨日開会の時にのお話で述べられた考え方を実質的に補うような素材を私の話の中から皆さまが見出して下されば幸いです。それから私の話の副題にご注目いただきますと、それは「信じられていることと真実」となっています。そして私は多くの点でストーン先生と同様に、実務における法律と本の上の法律を区別しています。私がかかわっているのは、実務において現実に起こっている状況に反して、人々が、これが状況なのだと信じているような事柄ですから、そして私がこの素材を示そうとするときに、私は法律家でも精神科医でもなく、研究者と言うことをご承知置き下さい。
 何が真実であるかを確かめるには、現実に起こっている事をよく見るべきです。人々が信じている体形を額面通りに受け取ったり、それが世のつねであると言うべきでは有りません。むしろ必要なのは、こちらから出ていって、これらの概念がさまざまな法律的な文脈の中で用いられた時に起こることを系統的に調べることです。
 私の発表での数は少なくなります。それにしても、何らかの基礎的な統計がなければ、論点を理解できないと思います。そこで、ごく基本的な、少数のものを挙げるにとどめましょう。

 さる7月にニューヨーク市で起こった事件のことから話をはじめます。この事件は非常に教訓的なものだと思います。研究者として、私が事例に依拠することに繋がれるかも知れません。しかしこの特別な事件は一般に信じられていることと真実とが食い違う所において私たちが直面するジレンマをよく表しているのです。
 このケースは、ウォレン・ゴンザレスと言う男の人で、家が無く、1986年7月2日から、ニューヨーク市のある地区の集団保護施設の一つに収容されていました。そこにいる間、彼には幻覚が出ていて、彼が精神病であるかどうかと言う問題が出されました。そして保護施設の職員が彼をニューヨーク市の精神病院の一つに連れて行きました。そこで彼は2日間にわたり、精神障害と言うに足る状態にあるかどうか、治療が必要なのかどうか、危険かどうかと言う点について鑑定・評価を受けました。ニューヨーク市のコロンビア長老教会病院の臨床スタッフは、彼は精神病であるが、危険でないと言う結論を出しました。そして彼に薬と処方箋を与えて、地域へ解放しました。その日に彼はタイムス広場にゆき、日本刀を買って新聞紙に包み、地下鉄でマンハッタンの南端にゆきマンハッタン・ステイトンの間のフェリーボートに乗りました。そして船上で日本刀を包みから出して旅客を襲い、2人を殺しました。
 新聞や大衆は、すぐに精神医学界、とくにゴンザレスが鑑定を受けた病院の救急室に対して反応を示し、彼が危険になるかも知れないことを予測できなかったのかを知りたがりました。新聞は、もしも精神医学が何事を成し遂げると言うのなら、精神病或いは精神欠陥の故に危険になるかも知れない者を特定できるはずであると、はっきり指摘しました。
 私の所轄するニューヨーク州精神保健局は州が運営する32の精神科センター、病院を管理し、精神病者についての州の財政からの年間12億ドルの予算に対し責任を負っていますが、このエピソードの後、精神保健局として次のようなプロジェクトに対して後援するべきかどうかということについての問題が提出されました。そのプロジェクトというのは、将来においても暴力的な行為を行う可能性の高い人々を特定しようと試み、かつ、今のところはっきり定められないが、入院中のそういう人たちに対する特別のプログラムがあるかどうか、また、これらの人々を地域へと解放する際には、地域における事例管理に委ね、特別に訓練されたスタッフに、運営の1スタッフあたり30名のケース担当という数より少なく、1スタッフあたり15名を担当させるようにするべきかどうか、について検討するものでした。
 ゴンザレスの様な事件に遭遇した場合には、そして報道や州の議員から、大衆から、精神医学に対して「何故失敗したのか」「何故、この者が危険であると予測しなかったのか」といわれるとき、精神科医や管理者は弱みがあるように感じます。そしてその同じ精神科医や管理者の多くは、このような事件を起こすのは誰であるのかを正確に予測できるようにするために使用できる技術や、基盤となる知識があるのではないかと信じているのです。
 私が今吟味しようとしているのは、どの様な経験的な研究があるかということです。このような研究は非常に限定されます。このことは、私たちが弱みを感じるにもかかわらず、精神医学、心理学、看護、ソーシャル・ワーク、私が訓練を受けた社会学の、どの専門をもってしても、将来の暴力的行為を正確に予知できるのという科学的証拠は、簡単にいえば、ないということを示唆しているのです。
 私が危険性について語るとき、必ず理解しておかなければならないことが2つあることを明らかにする必要があります。その第1は危険性が法的概念であるということです。それは医学の概念ではありません。フォーラムのプログラムに危険性についてのトピックが載せられたのは、日本の法律では危険性の概念が精神保健関係の法律の一部に含まれていることを配慮したためだと思います。日本の法律に入れようとしているものが適切な概念かどうかが問題です。これは法律的な議論であり、法律的なトピックです。

 絶対必要だと思われる第2の点は、このプログラムで私が話を終えたあとの、次のトピックに注目することです。ベリボー先生とド・シュミット先生が危険な患者の治療についてお話なさいます、トピックは、「暴力的あるいは攻撃的な患者の治療」ということになるでしょう。私たちは危険な患者について、あるいはこの部屋の中で誰が危険であるかを語るとき、私たちは彼らが現在どのように見えるかということや、彼らの過去の事実がどうであるかということを根拠にして、彼らが将来何かをするのではないかと示唆しているのです。私たちが危険な患者の治療について語るとき、私たちは、病院に来る以前とか、病院に入院するときとか、病院で治療を受けている間とかにおいて、攻撃的、暴力的であった患者について語っているのです。私たちは過去の事実にもとづいて、どういう介入が必要であるかについての評価を語っているのです。私の仮定が正しいかどうかは、間もなくわかると思います。私たちが危険性について語るとき、また皆さんが危険性を皆さんの法律の中に含めることを考えるとき、実は、予示的な概念を取り入れようとしているのかどうか、過去の事実と現在の外見に依拠しているのではなく、本当に将来の予測に責任をもとうとしているのかどうかということを考慮しているはずなのです。
 さて、研究については私が指摘したように、大したことはいわれてはいません。そして今回の吟味の対象に含まれる研究の多くは、法改正を考慮に入れようとする場合に必要と思われる質問を、本当に提出していないように思われます。
 研究での質問は「精神科医が、ある個人、ある患者について、彼らがいずれ危険になるであろうと予測した場合、彼らのうち何人かは実際に危険になったであろうか」というものです。
 誰かが鑑定についての証明をしたかというと、誰もしていません。
 この点について私たちがニューヨークで何か前に行った2つの研究を手短に振り返ってみましょう。これらは研究の結果がどういうものであるかを示すためには格好のものだと思います。

 第1の研究は、1970年代の早朝にニューヨーク州の犯罪性精神障害者のための最高度の保安病院にいた患者の1群についてなされました。これらは人々のうちの1人が、正当な審査も無いままに拘禁されているという訴えを最高裁判所に提出しました。
 この人について一言つけくわえたいのですが、彼は危険で精神病であると鑑定されていたのに、最高裁の訴えのために、自分についての法的な記録をすべて集めて提出しました。最高裁は彼の主張をうけいれ、この保安病院には不適切に拘禁されている人が967名いて、彼らは裁判を受ける権利があるという判決を下しました。
 そしてニューヨーク州は裁判を行うかわりに、この保安病院の1000人近い人々を、通常の州立保安病院に移しました、そしてその後、多くの人々が地域に戻りました。私たちは、彼らが、危険であり精神病であるという精神医学的鑑定を根拠に、裁判所によって拘禁されて、このような評価を受けていたにもかかわらず、通常の保安的な病院に移され、さらには多くの人々が地域に戻ったという設定にもとづいて、彼らについての4年間の追跡をしました。
 そして、その結果、私たちはこれらの予測がどの程度正確であったかを調べることが出来ました。この1000人近い人々のうち、4年間に最高度の保安病院に移ったのはわずか2.7%であることがわかりました。彼らが通常の州立病院にいた間に、15%が職員や他の患者に対して攻撃的であるというのがわかりました。地域へ解放されてからは、暴力行動の故に再逮捕されたり再入院させられたりした例からみて、15%が攻撃的であったことがわかりました。
 この病院内で攻撃的だった群と、地域で攻撃的だった群のうちかなりの人が重複しているので、全部で20%になります。すなわちこの1000人の患者のうち攻撃的であったのは20%です。そしてこの人々に関しては実際に精神科医と裁判所は正しかったことになります。そして80%の人々については、暴力的・攻撃的行動は現れていません。
 これは、精神科医は20%のケースにおいて正しく、その4倍の80%のケースにおいて誤ったということを意味します。

 私たちはこの研究を終えてから、もう一つの研究をはじめました。その理由の一部は、上に述べた研究の群は非常に長期にわたって入院した人々であり、今日市中から逸脱してくる人々の典型的な場合とは異なるものではないかという点にあります。この第2の研究では、私たちは、刑事裁判以前の段階で精神的能力についての鑑定がなされた患者の群について調べました。この際、2名の精神科医が裁判所に対して、この人が危険かどうかについての鑑定結果を提出することになっていました。このような法律が有効であった当時の最初の1年間に、私たちは256人の男のケースを対象として、精神科医が「危険である」、あるいは「危険でない」といった群での予測に注目しました。そして3年間にわたり、両方の群での予測の正確さを追跡しました。もしもそこに精神科医によって「危険である」と予測した人々は「危険でない」と予測された人々よりもはるかに高率の攻撃性と暴力性を示すと期待されたでしょう。
 ここで2つの数字を示します。暴力的行動の故に再入院した人々のうち、精神科医に「危険である」と予測されていた人々は2%です。「危険でない」と言われていた人々は3%です。基本的に差はありません。
 第2の尺度は暴力行為による再逮捕です。危険とされた群では、14%が暴力行動の故に再逮捕されています。危険でないとされた群では16%です、ここでも差はありません。
 この研究での以上のデータからの私たちの結論は、予測がなされた群を追跡してみると、精神医学には証明力のある鑑定は存在しない。ということです。

 さて、アメリカの文献において通常引用されているもう一つの別の研究について一言述べたいと思います。それはコゾルによって、マサチューセッツ州での性犯罪者に対してなされた研究です。そしてこの研究は予測の高度の正確さを示しているという点でしばしば引用されます。ここで2つの問題があります。1つは、彼らがすべて性犯罪者だけを扱っているということです。こういう特殊な群での結果を一般化するには、非常に慎重でなければなりません。そしてそのことを別にしても、その研究では予測が35%において正しいといわれているのです。正確な予測が1回あるのに対して2回は誤るというのです。
 一般に今日、文献が示しているのは、通常精神科医は裁判において、正しく予測するよりも、4、5あるいは6倍の回数で誤るということです。そして最良の場合でも、1回の正しい予測に対して、2回誤るということです。

 さて、このような臨床的な予測のあとを追跡する研究を越えたところでなされてきた研究、すなわち、コンピュータが巨大なデータベースを用いて、臨床家異常に正確な予測を生み出すことができるのではないかということを調べようとする研究について少し述べます。このようにして、コンピュータによる統計的な予測がなされた結果によると、統計的予測は臨床的予測よりいくらか正確です。すなわち臨床的予測の正確さを20%とすると、統計的予測では30%位です。改良でありますが、依然としてまったく貧弱で、試作や立法のために用いるには程遠いものです。

 さてもう1つのトピックは、ジョン・モナハン教授がアメリカ精神医学雑誌の論文を通じて、アメリカでいった呼掛けのことです。この呼掛けでモナハン教授は、今や危険性についての第二世代の研究をするべきであるといっています。私はこの教授の認識と呼び掛けが重要だと思います。ここで教授が示唆しておられることの1つは、長期的な予測を下された、多少なりとも特殊な人々についての追跡研究は、長期的な予測を下された通常の市中病院の入院患者についての研究によって補完される必要があるということです。つまり教授は2、3年間に何かが起こるということに注目するかわりに、2日間、3日間に注目すべきであり、また、、現在議論されている精神保健法に反映されるような研究をする必要がある、といわれたです。
 イギリスを例外として、アメリカにおいても、またカナダにおいても、そして私はオーストラリアの文献を読むことが出来るので、オーストラリアにおいても、事実上、第二世代の経験的な研究はこの8年間になされていません。カナダのトロントには見事な研究をなさったクリス・ウェブスター教授の研究グループがあります。アメリカでは、カンサス市やミズーリ市で精神保健センターが資金援助した研究がいくつかあります。これらの研究では、地域精神保健センターのケースについて危険性の予測を試みています。しかし、このような問題をとらえて真実を見出すような活発な研究は、ほとんどありません。

 私は本日ここにご出席の皆さんに対して、改革をさらにすすめられる前に、情報を集め、さまざまなセッティング、市立病院、官立病院、地域治療プログラムなどについて、よく吟味することについて熟慮されることを強くおすすめします。
 私が本日点検した範囲を超えて文献から引きだすことが出来ると考える結論は、医学の実地やコンピュータによって生み出される予測表ではなく、すべての科学にかかわる大変一般的な原則です。
 それは自然科学、社会科学、医学においては、頻回でないできごとの予測はなかなか出来ないということです。私は京都でパチンコ屋に入りました。そして、球が落ちてゆくのを見ていますと、球が穴に入るのは、比較的稀な出来事のように思われました。パチンコでも、太陽の黒点でも、殺人でも、暴力行為でも何事にせよ、あまりしばしばはおこらない事の予測については私たちは弱体なのです。しばしばおこるわけでもない事柄について、科学は正確な予測をすることがあまりできないのです。
 考えておかなければならない第2の点は、文献から見ると私たちが予測が的中するのは偶然の場合と同様だということなのです。たとえば回数にして10〜15%の率で起こる何かのできごとを予測しようとします。そして人々を答えが「はい」の人と「いいえ」の人の2つの群にわけますと、最後は双方の群とも10〜15%の回数で正しいという結果に終わります。
 もし私がここにいられる皆さんについて、昼食を食べに行くか否かということを予測するならば、おそらく90〜95%は正しく予測できるでしょう。なぜなら、みなさんの90〜95%は昼食を食べるでしょうから、ここで正確であるためには、何も科学は必要ありません。
 しかしながら、暴力行為であれば、それはあまり頻回に起こらないできごとです。そしてそのために、10〜15%程度しか正しく予測できないことになるのです。特別な鑑定でこれは証明することもできないのです。コインをはじいてみれば同じことが得られるでしょう。

 以上のことは精神衛生法改正にとって何を意味するでしょうか。もしもみなさんが法律のどこかに危険性の概念を取り入れようとするならば、それには科学的根拠がないということをはっきりさせておくべきであります。危険性の概念を法律に取り入れようとする傾向は、むしろ宗教的なタイプの信仰に似ています。それは、精神病者は危険であるという大衆のステレオタイプへの埋没と服従を意味します。またそれは、政治的便宜主義への服従を意味しています。専門家としてであれば、皆さんは危険であるのは精神病者の中のごく少数にすぎないことを知っておられます。
 学会の誠実さと、医師、法律家の立場を全うするために、現在のような予測能力の水準において、法律の中で危険性の概念のしようをより頻回にしようとする圧力に抵抗することが必要であると、私は信じています。多くの臨床家や政治家は危険性について心の中で単純に信じていることは、経験的研究によって支持されうるものではありません。刑法や精神衛生法を、危険性の概念のしようを拡大する方向で改めようとすることは、私たちの現在の医学、精神医学、行動科学の知識の水準にまったく合致しないのであります。 

(訳:吉田哲雄)


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