「処遇困難」試論I
                              立 花 光 雄

大阪府立中宮病院紀要 Vol.10,29−40.2000


1 二つの西部劇


 スラヴォイ・シジェクの筆法をまねてハリウッド映画から話をはじめることにす
る。


 私は「真昼の決闘」という映画を中学生の頃に田舎の映画館で見た。そんなことを
憶えているのは映画そのものの記憶よりも中学校の教師との会話を記憶しているから
である。友人たちと共に、教師が当直している夜に職員室に遊びにいったとき、彼は
私たちに好きな映画俳優の名をいわせた。仲間たちがどんな名前を挙げたのか憶えて
いない。私が「ゲーリー・クーパー」と言ったら、彼は「お前な、そんな西洋人より
も日本人のええ役者がようけおるやろ」と言った。私が「クーパー」と言ったのはそ
の直前に「真昼の決闘」を見ていたからであったが、クーパーの映画はこれが初めて
ではない。「平原児」や「北西騎馬警官隊」や「ヨーク軍曹」や「打撃王」などをそ
の前に見ていた筈である。私がこのようにクーパーの映画の時間的な序列を回想しう
るのは、大人になってから見た「真昼の決闘」のクーパーの顔が既に人生の黄昏の気
配を漂わせていたからである。


 「真昼の決闘」は西部劇であり、「……の決闘」というタイトルをもつ無数の西部
劇の図式にはまった平凡な物語である。西部の町に保安官がいる。彼は5年前にこの
町に招かれて、町に混乱を撒く無法者を逮捕する。保安官も町の判事も彼が死刑にな
るものと思っていたが、この男は禁固刑になる。


 映画の冒頭は保安官の結婚式の場面である。彼は暴力を否定するクエイカー教徒の
女性と結婚するために保安官の職を辞して別の町で雑貨屋を開くことになっていて、
後任の保安官はその翌日に選任されることになっていた。保安官不在の一日をこの町
はなにごともなくやりすごすはずであった。町の保安官助手はこの人事に不満であ
る。野心的なこの若者は、自分が後継者になれないのは、一年前まで保安官の情婦で
あったメキシコ女性と自分がよろしくやっていることに保安官が嫉妬しているためだ
と考えている。結婚式が終わって新郎新婦がハネムーンに旅立とうとする瞬間に駅夫
が凶報をもたらす。無法者が釈放され、汽車でこの町に向かっており、駅には三人の
仲間が彼の到着を待っているという。無法者は逮捕された時、保安官と判事に「必ず
お前らを殺してやる」と宣言していた。彼がこの町に帰ってくるとすればこの宣言の
実行のためである。


 暴力的混乱の危機の再来であるが、無法者の標的は町民一般ではなく保安官と判事
である。町民たちは二人に逃走を勧め、判事は別の町に向けて旅立つ。保安官も勧め
に応じて花嫁と共に一度は町を出るが、花嫁の懇請にもかかわらず、また町に引き返
す。保安官は町の治安に責任を感じて引き返したのではない。逃走していつの日かク
エーカー的非暴力主義の個人として無法者と対決することより、保安官として町民の
協力を得て無法者と対決することを彼は選んだのである。五年前に町民はこの無法者
と対決するために彼を招聘し、協力して闘った。今回も同じでないわけがない、と彼
は考えた。


 町民は町と個人の利益にそって行動する。五年前には町と保安官の利害は無法者の
排除という点に収斂し、町は無法者の暴力から身を守るために保安官と契約した。
今、保安官は自分を守るために町民の助力を求める。彼の基盤は五年間の保安官とし
ての実績であり、町民との仲間意識であり、その日限りで効力を失うことになっては
いても今はまだ辛うじて彼の手許にある保安官としての権力である。彼の友人たちは
居留守を使って会うことを避けたり、あるいは町を去ることを保安官に勧める。町民
たちのある者は助力の要請に対して諾といい、別の者は否という。しかし、結局、町
民の意見は町の経済的発展のために暴力沙汰は避けるべきであり、保安官には町を出
てもらうべきだというところに落ち着く。後任人事への不満からバッジを外してし
まった若い助手は自分の手で無法者と対決して町民の信頼を得たいという野心をもっ
てはいるが、保安官を助ける気持ちはない。保安官の新妻は逃走を拒む夫に愛想を尽
かして一人この町を去ることにする。保安官に憧れる少年と、自分自身を取り戻した
いと望んでいるアルコール中毒の男だけが助力を申し出るが、保安官はこの協力を受
け入れることはできない。白日に照らされる空虚な町の通りを、長すぎる自分の脚に
もつれるように一人歩くクーパーの映像が彼の孤立無援を写す。彼はかって西部劇に
現われた最も無力なヒーローの一人である。


 同じように職権の失効寸前の人物を描いた西部劇だが「真昼の決闘」とは対照的に
幸福な結末を描いたものとして、ジョン・ウェインの「黄色いリボン」がある。主人
公は退役を目前に控えた騎兵隊の老大尉である。彼は部下の若い中尉と少尉を可愛
がっているが、まだ指揮権を委ねるには頼りなさすぎると思っている。頼りない中尉
と少尉は砦の司令官の姪を巡って対立する。この若く美しい娘は二人に等分に媚びを
示して二人を混乱させる。辺境の砦の周辺でシャイアンやアパッチ族が連合して蜂起
する。大尉は中隊を率いて最後のパトロールに出るが、司令官の妻と姪をパトロール
に同行していたために任務に失敗する。彼は砦への退路の渡河点に中尉を残して砦に
引き上げ、女性たちをここに残し、あらためて残置分隊の救出に向かおうとするが、
司令官に制止される。それは彼の退役するべき日であった。若い将校たちに指揮権を
委ねなければ彼らはいつまでたっても一人前にならない、と司令官は大尉に言う。大
尉は少尉が指揮する部隊の出発を見送るが、秘かに後を追って部隊に合流し、任期の
最後までの残された僅かな時間に部隊を指揮してインディアンを敗走させる。一私人
として更に西の土地に去って行こうとする退役大尉を呼び戻すべき使者が彼を追い、
元大尉はスカウトとして幸福に騎兵隊の砦に復帰する。


 この似て非なる二つの西部劇に共通する要素をあげれば、第一に危機の発生であ
る。「真昼の決闘」では無法者の帰還、「黄色いリボン」では居留地のインディアン
の反乱。第二に、危機に見舞われた集団としての町と騎兵隊の危機対応の中心人物で
ある保安官と大尉がそれぞれにその職権を失うべき臨界点にあったことである。第三
に、保安官も大尉もそれぞれに有能な人物であり、その職責を立派に果たしていたこ
とである。第四に、保安官も大尉も職権を失うべき日に周囲の人々からその属する組
織を離脱するよう勧められて一度はそれを受け入れるが、二人とも自分の判断で危機
に見舞われた組織に回帰することである。第五に、この二人はそれぞれの仕方で戦い
に勝利し、危機を克服することである。第六に、集団内に、危機とは無関係に混乱を
巻き起こす要因としての女性が存在することである。


 「真昼の決闘」ではメキシコ女性。彼女はかって無法者の愛人であり、無法者が逮
捕されると保安官の愛人になり、危機発生の一年前から若い保安官助手の愛人になっ
ていた。


 「黄色いリボン」では砦の司令官の若い姪。彼女は西部に観光旅行にきて、たまた
まインディアンの蜂起という危機に巻き込まれる。砦に滞在する間に、彼女は中尉と
少尉の愛の争いの対象になる。彼女は砦に唯一人の若く美しい女性であり、彼女に接
近を許されるのは砦の多くの男たちのうち二人の将校だけである。彼女の欲望の対象
がどこにあるのか二人の将校にも、映画を見るものにもわからない。それゆえ二人は
混乱し、騎兵隊にも混乱がもちこまれる。彼女は結局、大尉の後継者になる中尉にな
びくので、これは現在進行形で語られる、権力移行の随伴者としての女性の物語であ
る。


 この二つの西部劇はその基本的な構造において双子のように似ている。それにもか
かわらず「真昼の決闘」は暗い物語であり、「黄色いリボン」は明るくほのぼのとし
た印象を見るものに与える。「愛しい妻よ、結婚したばかりの日に私を見捨てないで
おくれ」という情けない歌が「真昼の決闘」の主題歌であり、「あ〜の子〜の黄色い
リボン!」というはずむリズムが「黄色いリボン」の主題歌である。この違いはどこ
から生じるのだろう。


 それは町と騎兵隊という二つの共同体の性質の違いと、共同体を見る視点の違いか
ら生じる。町はさまざまな利害が交錯する場である。酒場やホテルを営むものは保安
官がもたらした秩序が店の業績を落とすので、無法者と混乱と賑わいの復活を望む。
町の有力者や一般市民は北部から企業を誘致して町が発展することを望む。年老いて
ニヒリズムに捉われて変化を望まぬかっての保安官がいる。神を信仰するものとしな
いものがいる。信義に厚いものとそうではないものがいる。世の常に背かず、無法者
を釈放した北部の人間に責任を取らせろ、と息巻く責任横滑り論者もいる。人種差別
を受けつつ生きるメキシコ女性がいる。この危機を利用して権力を得ようとする者
と、自分を取り戻す契機にしたいと願うものがいる。落日の保安官は共同体内部のこ
のような対立や矛盾の暴露者としての役割をわれにもあらず担うことになる。無法者
が帰着するべき日曜日に酒場にいる者たちに保安官は助手を求めるが応じる者はいな
い。教会に集う人たちに助力を求めても、ここにも応じる者はいない。彼自身がクエ
イカー教徒の妻の非暴力主義と対立している。保安官はかって無法者の、ついで自分
の(そして今は助手の……しかし、このことを保安官は知らない)情婦であったメキ
シコ女性に町を出ることを勧告しにゆくが、彼女からも町を出るよう勧められる。こ
うしてすべての対立と矛盾は保安官の逃走(追放)という一点に収斂する。


 保安官は無自覚的な矛盾の暴露者である。彼は自分が孤立無援であることを知って
困惑するが、逃げることができない以上、無法者との決闘をその身に引き受けざるを
えない。共同体の辺縁にいるメキシコ女性がこの映画世界における他者であり、象徴
的視点の座である。彼女は保安官が町を去らないのは保安官としての責任感ゆえであ
り、彼は助力を得られず死ぬであろうと考えている。保安官のために助力を組織しよ
うかと問う腹心に彼女は「無用」といい、「私が町を出るのは無法者が怖いからでは
ない。ケイン(保安官)は男であり、男であるがゆえに彼は死に、彼の死とともに町
も死ぬ。そんな町でメキシコ人である自分は生きていけないからこの町を出る」とい
う。メキシコ女性にとって、追放の宣告を受けた保安官は町の死を象徴する存在であ
る。


 共同体としての騎兵隊は町よりも単純である。それは戦闘集団であり、インディア
ンを武力で管理することだけを目的とするものであるが、この集団に矛盾がないわけ
はなく、それは人間の内部矛盾、人間相互の矛盾が緊張をはらんで潜在する場であ
る。「黄色いリボン」の騎兵隊大尉は保安官とは対照的に矛盾を隠蔽する存在であ
る。彼は中隊の信頼を一身に集め、敵対するインディアンの酋長にも信頼され、女性
たちに信頼され、戦闘において勇敢で戦略にすぐれている。要するに望ましい軍隊と
いう虚構の具現化である。


 「真昼の決闘」のメキシコ女性とは異なり、司令官の姪はこの世界の中で勝利者に
付与されるべき花冠のような存在である。この映画世界を見通す視点は、映画の外部
にある楽観主義的、在郷軍人会的アメリカリズムである。それにもかかわらずこの映
画が単純化を免れるのは、この全能の大尉が退役を目前にした孤独な初老の男として
設定されていることと、随所に現われるジョン・フォードの映像の美しさのせいであ
る。雷雨の夜の平原を行く騎兵隊、平原を馬上疾駆する騎兵とィンディアン、馬上渡
河する騎兵など、その映像の美しさは映画監督黒沢明をして長い宿酔に陥れ、その晩
年にただただ騎馬武者が走るばかりの駄作の山を築かせたほどである。


 こうしてわれわれは危機に直面した共同体の反応の二つのタイプを映画に見ること
ができる。「真昼の決闘」は共同体の分裂、危機の原因の共同体内部の一因子への還
元とその因子の追放による危機の克服のパターンを示している。これはGiraf
d,R.のいう「犠牲の山羊」タィブの反応であり(1)、Girardはこれが人
間集団の基本的な反応型であるとしているが、この映画のなかではこの試みは失敗す
る。「黄色いリボン」では対極的な解決法が示される。有能な指導者による集団の統
率と危機の原因それ自体の解消である。この映画では危機の解消はあらかじめ予定さ
れていて、ドラマの緊張は限定された時間内にそれが達成可能であるか否かというこ
とによって構成されている。つまりゲームである。一方、「真昼の決闘」の危機はそ
のタイトルにもかかわらず時間の限定を受けない。保安官にとっても、町にとっても
無法者のもたらす危機は無時間的である。保安官は決闘に辛うじて勝利するが、彼は
去り、町は新たな危機に開かれたままで残る。


 「真昼の決闘」のなかの処遇困難例としての無法者ミラーにはほんど存在感がな
く、彼はただ射殺されるべき人間として映画の最後に人相の悪い顔をのぞかせるのみ
である。奇妙なすり替えによって無法者と保安官が同一視され、町民にとっての真の
処遇困難性は保安官という存在において提示されている。「黄色いリボン」のイン
ディアンたちは処遇困難例ではない。この映画のなかに処遇困難例が存在するとすれ
ば、それはまことに愛らしい司令官の姪である。美しい女性が男たちにとって処遇困
難であることは自明であるから、この映画は処遇困難性について何の発見ももたらさ
ない。「真昼の決闘」と「黄色いリボン」というよく似た二つの西部劇の根本的な違
いはここにある。

2 「処遇困難」という概念


 厚生省保健医療局精神保健課は毎年「我が国の精神保健」という出版物を出し、精
神保健に関する一般的知識、日本の精神保健制度、政策、現状などについて広く紹介
している。その第4章は精神保健の個別課題を列挙したものであるが、平成4年版の
第4章「精神的健康の増進等の対策」の節には、@心の健康づくり対策(ストレスマ
ネイジメント)、A性に関する対策、Bアルコール関連問題対策、C覚醒剤中毒対
策、D精神保健に関する調査研究、の5項目があげられている。平成5年版になると
第4章のタイトルは「精神保健における個別課題への取り組み」に変化し、章の構成
が少し変わり、「覚醒剤中毒対策」が「薬物乱用防止対策」に拡大されるが、内容面
では上記の5つの課題に「老人性痴呆疾患対策」、「思春期精神保健対策」とともに
「重症精神障害者の医療対策」という3項目が追加されている。


 ここにいう「重症精神障害者」とは「その症状や問題行動により病院内における治
療治癒に著しい困難がもたらされる、いわゆる処遇困難患者」と定義されていて、こ
の項では公衆衛生審議会の平成3年7月15日付けの「処遇困難患者対策に関する中
間意見」が紹介されている。


 平成6年版の第4章は同じ内容であるが、平成7年版になると第4章から「重症精
神障害者の医療対策」の項目だけが消えている。これはなにを意味しているのだろう
か。3つの可能性がありうる。「治療困難な症例」の問題が平成6年度中に幸福に解
消された、この課題が厚生省にとって行政的な意味を失った、あるいは厚生省がこの
課題への取り組みを放棄した、の3様の可能性である。しかし、第4章に列挙された
他の精神保健の課題がそのまま残っているのに「治療困難な症例」の問題だけが解消
されるわけはない。われわれはこの問題が存続し続けていることを毎日の臨床実践の
なかで知っている。日本精神病院協会も、この時点では、「処遇困難者(あるいは処
遇上問題のある患者)」の医療に国や公的医療機関が責任をもつべきであると繰り返
し述べているので、この問題が解消してもいないし、問題としてのインパクトを失っ
てもいないことは明らかである。残る可能性は1つしかない。この項目の唐突な抹消
がいかなる判断に基づくものであるのかわからないが、厚生省精神保健課はこの課題
への取り組みを放棄したのである。心理学は主体が問題をどの程度にその象徴秩序に
取り込んでいるかに応じてこのような現象を選択的非注意(Su11ivan)と呼
び、あるいは抑圧(Freud)と呼び、あるいはまた排除(Lacan)と呼ぶ。
しかし厚生省に限らず行政組織一般の自我機能は抑圧その他のどちらかといえば原始
的な防衛機制を動員しうるほどに素朴ではないから、これは場面緘黙というべきなの
かもしれない。


 その心理学的仕組みがなんであるにせよ厚生省精神保健課がこのような方針変換を
迫られたとすれば、「治療困難な症例」の課題に関連して彼には外傷的体験があった
はずである。「治療困難な症例」は臨床の場において処遇困難であるに留まらず、保
健行政課題としても処遇困難であるとみえる。


 われわれは「処遇困難患者」の存在を経験的に知っているし、この言薬によってた
ちまち幾人かの患者の顔が脳裏をかすめるほどにそれは身近な現象である。しかし、
一方ではそれを言葉に定着し、正確に概念化しようとすると対象が拡散してしまうよ
うな奇妙な現象でもある。そこで平成3年7月の公衆衛生審議会の「処遇困難患者対
策に関する中間意見」によって「処遇困難患者」とはいかなる存在であるかを見るこ
とにしようと思うが、これがなかなか不透明で読解困難な文書である。


 この提言は「はじめに」と、「問題点」と「今後の取組み」の3節からなってい
る。「はじめに」の節に「処遇困難患者」の定義の試みがあり、それは「その病状や
問題行動により病院内における著しい困難」がもたらされる患者であるとされてい
る。そしてそれらの患者を巡る問題は第1に彼らが「長期間保護室で処遇され必ずし
も十分な治療が受けられる状況にない」ことであり、第2に「他の患者と同じ病棟内
で処遇されることにより一般の患者が開放的な環境でより良い治療を受けることを妨
げる」ことである。つまり処遇困難患者とは適切な治療を与えられていない者たちで
あり、同時に彼らは他の患者の適切な治療を妨げる存在であるとされる。そして、処
遇困難患者の判定基準の問題やその治療体系等々、今後に検討しなければならない問
題であるとされるのであるが、それにもかかわらずこの問題点の指摘の直後に「処遇
困難患者」の現状が述べられている。その記述によれば昭和63年1月31日現在に
おいて全国に1,971人の処遇困難患者がいると推定されている。軽度、中度、重
度の患者数、男女比が3対1であること、平均年齢が男女それぞれについて41歳と
42歳であること、疾患別では精神分裂病が最も多く、問題行動は暴力、脅迫、自損
行為、器物破壊等であること、入院経路は家族の依頼が38.2%、他の医療機関か
らの依頼が20.2%、精神保健福祉法の24条通報が11.8%であると記されて
いる。これらの入院経路の合計は70.2%になるが残りの29.8%はどのような
経路であったのか気になる。可能性としては比較的重い触法行為を犯した精神障害者
に適用される25条、26条通報による措置入院と、軽症の精神障害者のための任意
入院という対極的な入院経路が残されているのだが、なぜその部分が明示されないの
かわからない(後述するように、平成9年頃から「処遇困難例」の代わりに「触法精
神障害者」の処遇が問題になりはじめるので、この謎は一層に深い)。


 第2節「問題点」において、処遇困難患者を巡る問題があげられている。第1は処
遇困難患者がその病状に応じた十分な治療と人権確保を受けていないことである。第
2は処遇困難患者の存在が昭和61年12月1日現在における我が国の61%という
閉鎖病棟比率の高さの原因になっていること。第3は処遇困難患者の多くは看護職員
数が少なく閉鎖的な病院で処遇されているので看護職員数を増やす必要があること。
第4は処遇困難患者の診療を可能にするような診療報酬制度がないこと。第5が処遇
困難患者を適切に治療するために必要な研究、人材養成、研修機関の不在である。こ
こにあげられた問題点を要約すれば、精神科病院において適切な治療と人権擁護が不
十分であること、閉鎖病棟比率の高さ、看護職員数の不足、精神科診療報酬の低さ、
研究と研修体制の貧困である。ここには日本の精神科病院一般がもつ主要な問題点が
網羅されているように見える。したがって、この文脈において、処遇困難症例は日本
の精神医療の矛盾を顕在化させるための差し縫いボタンとして機能しているというこ
とができる。日本の幸福な精神科病院群は「処遇困難症例」という呪文を突き付けら
れるとたちまちそのさまざまな矛盾を露呈してしまうのである。中間意見は「処遇困
難症例」さえ除外すれば日本の精神科病院は看護職員数が少なくても、診療報酬が低
くても、研究と研修が不十分であっても、病棟は開放化され、一般の患者の適切な治
療と人権の確保が可能になるといっているように見える。逆に、「処遇困難症例」と
いう象徴的存在を軸にして日本の精神医療体制を厳しく告発しているようにも読むこ
とができる。いずれにしてもこれは精神科入院制度全般に係わる問題であり、「精神
保健の個別課題」というこの章のタイトルにまことにふさわしくない内容である。厚
生省がこの項目を削除したのはこの事情に気がついたからかもしれない。


 第3節の「今後の取組み」は、第2節で指摘された精神科病院の否定性を逆転させ
た多幸的な治療施設について語っているだけなのでその内容を引用することはしな
い。ただ公衆衛生審議会のこの問題に関する考え方だけを紹介すれば、「処遇困難症
例」を一般精神科病院から排除し、これらの特権的な患者群を遇するにふさわしい施
設で治療するべきであるということである。そして、この施設のユーザーほ審査委員
会によって決定されるべきであり、当面は重症の措置入院者に限定するべきではない
かとしている。


 この「中間意見」の不透明さは「処遇困難症例」の内容の曖昧さに由来している。
その曖昧さはこの特権的な施設で治療を受ける資格を獲得するために審査を受けねば
ならないという一事に現われている。入院するのにこんな面倒な手続きを踏まねばな
らない病気は他にない。麻薬取締法による措置入院が30日を越えるとき、麻薬中毒
審査会による承認が必要であるが、入院そのものは1人の指定医の判断で足りる。し
たがって、「処遇困難症例」の判定には例外的な困難が予想されているのである。そ
れにもかかわらず、この中間報告の第1節では全国の該当例の数が重症度別になんの
ためらいもなく示されていて、ここでは判定に伴うかもしれない困難は払拭されてい
る。


 「処遇困難症例」を定義する中心的概念は病院内での治療処遇に係わる「著しい困
難」であるが、これは相対的概念であり、それゆえ対象を明示することはできない。
判断するものの主観により対象を拡大することも、縮小することも自在である。こん
な頼りない判定基準に基づいてなにかをすることは「著しく困難」なのではあるまい
か。


 平成8年頃から、「処遇困難例」という表現は次第に「対応困難例」という表現に
置き換えられるようになる。この2つの表現の意味野(aire Semantiq
ue)がどのように重複し、どのようにずれているのか筆者にはわからない。さらに
平成9年頃から、「対応困難例」のなかでも「触法精神障害者」の処遇が問題になり
はじめる。平成11年5月に精神保健福祉法の改正に際して、国会はいくつかの付帯
決議をしているが、その1つに「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇の在り方につ
いては、幅広い観点から検討を早急に進めること」という項目がある。このようにし
て「処遇困難例」の処遇をめぐる問題は「触法精神障害者」の処遇の問題へと滑脱し
ていった。


 ところで、「触法精神障害者」とは法に触れた精神障害者のことであるが、すべて
の法が問題になるのではなく、「少なくとも刑罰法令に触れる行為をした精神障害
者」である(2)とするのが一般的な考え方である。「刑罰法令」とは刑法と、覚醒
剤取締法などの特別刑法をさすのであろう。ところで刑法には@個人に対する罪(人
格に対する罪、自由に対する罪、私生活の平穏に対する罪、名誉・信用に対する
罪)、A財産に対する罪(個別財産に対する罪、全体財産に対する罪)、B国家に対
する罪(国家の存立に対する罪、国家の作用に対する罪、外国に対する罪)、C社会
に対する罪(公共の平穏に対する罪、公共の信用に対する罪、公衆の健康に対する
罪、風俗に関する罪)がある。私はこれらのうち、全体財産に対する罪、国家の存立
に対する罪、公共の信用に対する罪、公衆の健康に対する罪を精神障害ゆえに犯し、
入院治療を受けた人を知らないが、それ以外はすべて経験した。刑罰法令に触れる仕
方はまことに多岐である。


 触法行為を「殺人(未遂)の罪」だけに限定しても、家族外殺人と家族内殺人があ
る。家族外殺人に行きずり殺人と知人の殺人がある。行きずり殺人の対象に偶発的接
触者と職業的接触者がある。家族内殺人の対象に両親があり、配偶者があり、こども
があり、稀には同胞がある。行為者の病態に、錯乱状態があり、精神運動興奮があ
り、単なる興奮(人格障害における衝動制御不全)があり、妄想状態があり、無為不
関がある。行為時の病態のみならず、殺人行為の対象もしばしば行為者の精神病理や
人格特性に深く関連している。


 つまり、「触法精神障害者」という抽象は、治療や処遇のありかたに関してほとん
ど対象を規定しえないのである。「処遇困難例」にまけず劣らず「触法精神障害者」
も曖昧なのである。

3 「治療困難症例」の実像


 われわれの病院は1970年代半ばから民間精神科病院等からの要請を受けて、当
該病院が「著しく治療困難」であると判断した患者を受入れてきた。この患者群がど
ういう人たちであるかを見れば「治療困難症例」の外延をある程度見通すことができ
る。


 一番多いのは暴力をふるう患者である。暴力行為の対象が病院職員であれば、それ
はほとんど許容されない。暴力の発生する文脈はさまざまであり、病状に関連した苛
立ち、強制入院と治療に対する反発、医師や看護職員の言動による触発などである。
第二は他の患者に対してかなり危険な加害行為を加えた患者である。その行為が重大
な機能欠損(その究極は相手の死)をもたらす恐れがあったり、実際にそういう結果
を招いてしまった人が対象になる。第三は病棟内で他の患者を組織して治療体制に混
乱を持ち込む人である。これほ薬物乱用者に多い。第四は病院職員に対して暴言を吐
いたり威嚇する患者である。こういう人たちは暴力を振るうことはあまりないが、そ
れにもかかわらずその怒りの言語的パーフォーマンスによって相手を困惑させ恐怖さ
せる。彼らの怒りの対象は隔離であったり、精神科病院の生活環境の貧しさであった
り、強制入院制度であったりする。


 一例を挙げる。組合運動の指導者であった初老の人物が躁状態になった。家族に説
得されて民間病院に入院したが、病院が対応に窮したのでわれわれの病院に転院して
きた。彼は一過性の躁状態を脱するとその社会的役割性にふさわしい紳士に戻った
が、その間に主治医であった私を窮地に追い込んだ。入院中の政治運動を制限する私
に対して「このためにわが党の情勢が不利になったら、あんたの額にたばこでキチガ
イと刻むよ」と彼は言ったものである。言説はその本質において権力的であり、言表
の真実性は言表行為によって保証されるという一般原則のまことに卑近な実例がこれ
である。キリストの十字架と同様に、暴力団員としてのキャリアー、巨大な体躯や厚
い筋肉、有力者や有力組織の後ろ盾、親類縁者に司法関係者がいることなどが患者の
言表に真実性を与える。言葉においてわれわれを圧迫するものを真実性と名付けるな
らば。これはなにも精神科病院だけの特質ではなく世間一般がこのようになってい
る。世間でならば相手の言表の真実性が圧倒的であればわれわれはそれに追随する
か、お付き合いをご免こうむって遠ざかる。精神科病院では定義によって真実は治療
者の側にあることになっており、病院には診療を拒む自由がなく、また精神科病院は
あまりに挟くもあるので追随することも、遠ざかることも意のままにならない。


 また別の一例をあげると、患者自身はなにもいわず暴力もふるわず、家族も苦情を
いっていないのに「処遇困難症例」としてわれわれの病院に送られてきた人がいた。
家族に弁護士がいたからである。さらに別の例。措置入院中の青年が「処遇困難症
例」とラベルされて転入院してきたが、問題は彼自身にはなく、息子の入院に納得で
きない母親の強烈な抗議であった。医療保護入院や任意入院であればこんなことは問
題にならないが、措置入院の場合は母親が抗議するからといって簡単に退院させるこ
とができない。治療スタッフと母親は互いの手と手を縛られた上でナイフで戦う決闘
者のようであった。彼女の情熱的な抗議は面会室から病棟の患者に伝わり病棟全体を
パニックに陥れたものである。情熱的な父親もいる。息子あるいは娘が医療保護入院
だからといって安心はできない。ある父親は息子が病状悪化のために開放病棟から閉
鎖病棟に移されたことに納得できず、「ブルドーザーで閉鎖病棟の鉄扉をひっぺが
す」と主治医や看護職員を脅迫し、自分で息子に服薬に関する指示を与え、時間にお
かまいなく息子との面会を求め、病院の規則など無視すると宣告した。しかし、彼は
決して息子を退院させようとはせず、主治医の側がそれをほのめかすとそれを病院の
無責任の証明であるとして新たな攻撃の材料に使った。この父親は自分の言説の真実
性を保証するために有力者を動員したが、そんな必要はなかったと思われるほどに彼
の制度無視は徹底的であり、執勘であった。彼はついに息子に拒薬と検査の拒否を命
じるに至るのだが、ことここに及べば彼の戦いは息子の治療環境の確保という本来の
目的から逸脱したと言わざるをえない。われわれはクリンチされて、ふりほどけない
ままにボディブロウや膝蹴りを受けるボクサーのようであった。また別の情熱的な父
親は入院させた娘の身の安全を気づかう余りに看護職員の人格品性を疑い、病院の治
療看護体制や人事管理体制に疑念をもち、彼の疑いがある域値を越えれば情熱のほと
ばしるままに医師や看護職員を攻撃した。彼は弁護士も有力者も引き合いに出す必要
もないほどに自己完結的に十分に強力であったし、攻撃において我を忘れることはな
く、どんなに際どい言葉を使って攻撃しても(「殺人教唆の罪を覚悟の上
で、………」と彼は言ったものである)、最終場面では話し合いを紳士的に終える見
事な技術の持ち主でもあった。われわれは猫に翻弄されるばったのようであった。


 「治療困難症例」の最後のカテゴリーは支払いの悪い患者である。患者自身は経済
力をもたないことが多いからこれも家族の問題であり、家族不在の場合は家族代理者
としての市町村や国の間題である。非定住外国人やその家族に支払い能力がなくても
日本国は市町村に援助してはならないと指示しているので、病院は無償で治療提供せ
ざるをえないことがある。日本人であっても、大阪市のある区域では入院が一定の期
間を越えなければ医療保護費の支給を決定しないところがある。


 支払いの悪い家族の多くは貧困という問題を抱えているが、精神科病院の治療は費
用支払いに値しない、あるいは精神科病院で入院治療を受ける身内は家族に費用負担
の犠牲を強いる権利がないと心得ている人もいる。日本国が非定住外国人の医療費負
担をしないのは国際慣例に従ってのことであろう。われわれが外国旅行する時には旅
行先の国の善意をあてにせずに旅行者のための医療費保険にはいる。日本でも医療関
係者以外は勝手にやってくる外国人の医療費に税金を使うことを歓迎しないだろう。
大阪市の一区域が医療保護費や日用品費の支給の決定に一定の時間を置くのもそれな
りの理由あってのことである。しかし、治療を提供する病院は治療費の支払いなしに
は存続しえない制度になっているから、病院が支払いの悪い患者を敬遠するのは八百
屋が無償で大根を提供しないのと同様である。八百屋は大根の無償提供を拒む相手が
餓死しても責任を問われることはない。しかし、病院は無銭飲食した人物を警察に突
き出すレストランの支配人と同じように振る舞うことができない。そもそも日本語に
は「医は仁術」という言葉はあるが、「無銭入院」とか「入院逃げ」いう言葉はない
のである。


 病院もこの種のトラブルに備えて自衛策をめぐらしている。入院に際してあらかじ
め一定額の費用の前納を求めることが一部の病院では慣行になっているし、費用支払
いに関して保証人を求めることはどこの病院でもしていることである。しかし、救急
入院の場合はそんなことをしている暇はない。また、精神医療の場合は今のところ入
院期間が異常に長いので、家族の経済事情がその間に変化して医療費の支払いが困難
になることがある。支払いがとどこおったからといっても患者の病状によっては退院
させられない場合があるのは家賃の支払いが滞った店子の立退きを直ちに迫ることが
できない家主と同じである。そこで、このような患者をかかえた病院は「治療困難症
例」のなかに患者をまぎれこませて転院させることがある。しかし、支払いの悪さそ
のものは転院の対象としての「治療困難症例」の要件をみたさない。なぜなら支払い
の悪さに耐えられる病院は存在しないからである。そこで患者の診療録から暴力行為
などの記憶を寄せ集めて「治療困難症例」のイメージが構成されることになる。


 精神科病院の治療秩序を認めずこれを攻撃する患者やその家族が「治療困難症例」
であるならば、支払いの悪い患者も立派な「治療困難症例」である。前者が攻城作戦
における正面からの武力攻撃ならば後者は兵糧攻めである。兵糧攻めほど慢性に精神
科病院を侵食するものはなく、兵糧攻めのチャンピオンは厚生省の定める精神科診療
報酬制度ではないだろうか。


 だんだん愚痴っぼくなってきたので「治療困難症例」の実例を列挙することはもう
やめる。上に網羅した「治療困難症例」の実像は患者のみならず家族も含み、また暴
力行為だけではなく、精神科入院治療に対する批判的言説から治療費支払いの問題ま
でを含むものであるが、これらの患者群に通底しているのは現在の精神科病院制度に
対する批判である。「治療困難症例」という命名はこれらの問題を医療技術の問題に
還元してしまうから適切ではない。「処遇困難症例」という命名の方がまだしも問題
を正確に捉えていると思うが、こちらも病院の在り方を非関与項としてすべてを患者
の病状や人格に還元してしまうという欠点がある。

4 過去への一瞥


 ピネル(Philippe Pine1.1745−1826)の「楕神病に関す
る医学哲学概論」(3)の第4章は「精神病者の施設における秩序の維持と規律」と
題されていて、彼が医師として管理運営したサルペトリエール施療院の諸相が建築物
の配置から患者の分類収容の仕方、治療、看護職員の管理、給食に至るまで詳細に述
べられている。


 米国Arno Press社が1976年に出した復刻版に原版の見開きが再現さ
れていて、ここにピネルの肩書きが列挙されているが、それは以下のようなものであ
る。


 皇帝陛下の顧問医、
 レジオン・ドヌールならびに学士院会員、パリ医科大学教授、
 サルペトリエール施療院主任医師。


 1809年のフランス皇帝陛下とは余人にあらず、かのナポレオンである。サルペ
トリエールでの仕事はピネルの肩書きの最後に慎ましくそえられているにずぎない。
精神病者を鉄鎖から解放した逸話がピネルに与える「精神病施療院の孤高の精神病学
者」というイメージに反して、彼は世俗の権威にぴかぴかに輝く偉い人であったの
だ。その偉い人はなにを言ったのだろうか。


 当時の精神病施療院一般の様子についてピネルは次のように述べている。
 「不幸な病人たちが無差別に詰め込まれ、看護人たちの粗野な態度に絶望してい
た。彼らは不適格で無頓着な主任看護人の無意味な思いつきや恣意的な命令に従わさ
れて常に興奮状態にあり、嘆きや呪咀や騒々しい叫びを発するほかないのである」


 しかし、サルペトリエールはそのようではなかった。サルペトリエールを訪れる人
たちが「病人たちは一体どこにいるのかね?」と驚きの言葉を発するほどであった。
その秘密はどこにあるのだろうか。


 施療院は広い敷地をもち、患者の症状に応じて彼らを別々に収容できる構造をもた
なければならない。泉のある中庭、菩提樹の並木、中庭に面した個室の列。そのよう
な病棟群がメランコリーの患者、老人、興奮患者、不治の者、回復可能な者の分類収
容を可能にする。菩提樹の並木の遊歩道、雨の日のための屋根付きの遊歩道、回復患
者のための作業室、病棟群のはずれにある合併症治療室。最後に地階の病室群があ
り、これは不治の患者のためのものである。彼らは他の患者たちに好ましからざる影
響を及ぼさないようにここにひっそりとおかれている。


 第2に、患者たちは人間性と確立された経験則によって指導されなければならな
い。逸脱行為は厳しく規制されねばならないが、患者自身と他の人々の安全が確保さ
れるがぎりにおいて彼らは自由を享受すべきであり、医師は親身に患者の苦痛や不安
を聞かなければならない。「精神病者は罰を受けるべき罪人ではない。彼らは病むも
のであり、その苦痛は人間的苦悩に対して払われるべきあらゆる配慮に値し、理性の
錯乱を回復させるための最も単純な方法が探求されなければならない」。


 この「最も単純な方法」がいかなるものであったかを知るために、ピネルの症例報
告のいくつかを引用する。


 症例 1 若い娘。逆境と悲しみのために混迷と白痴状態に陥った。回復したとき
彼女は作業につくことを頑強に拒否した。看護主任は罰として彼女を中庭の白痴患者
の中に入れた。彼女はこの罰を楽しむかのようにふざけて踊った。主任はベルト付き
コルセットを着せて肩を後に牽引したが若い娘は1日中この試練に耐えた。しかし、
ついに彼女は許しを乞い、それ以後、裁縫の仕事を拒むことはなかった。彼女が怠け
はじめると、われわれは笑いながらビロードの胴衣のことをほのめかす。彼女はたち
まち素直になった。


 症例 2 マニーの女性。衣類を引き裂き、暴力をふるいつづける女性が他の施療
院からサルペトリエールに送られてきた。患者は大食にもかかわらず痩せほそり、そ
の怒りの激しさは他に類を見ないものであった。われわれはまず、栄養に富んだ食事
を与えて体力の回復をはかった。患者の暴力が極限に達したとき、ベルト付き胴衣を
着せてベッドに縛り彼女が許しを乞うのを待った。降参の身振りが示されると直ちに
拘束をといた。興奮状態が再現すると同じ手段がとられた。こうして患者に落ち着き
と自制がみられるようになった。しかし、主任看護人が病気のために12日間休むこ
とがあり、患者は厳しい監視の目から解放されてまた暴力をふるいはじめた。主任は
復帰するとともに「罰を与える」と彼女に警告したが患者は気にもとめなかった。主
任は患者を浴室に連れてゆき冷水のシャワーを浴びせ、拘束衣でその自由を奪った。
患者は亡然自失となった。主任は恐怖の印象を刻印するために、強い調子で、しかし
怒りの感情をまじえずに、これからはもっと厳しい処罰を与えると告げた。患者はそ
の翌日から平静になり、やがて家族のもとに帰っていった。


 症例 3 マニーの青年(ビセートルの症例)。革命の時期、青年はカソリック信
仰の崩壊にショックを受けてマニーになった。オテル・デュウで治療を受けたが治癒
せず、ビセートルに送られてきた。彼は人間嫌いに取りつかれ、来世の責苦について
しか語らず、それを免れるために禁欲と苦行をしなければならないと考えていた。彼
の断食が4日目になったとき、生命の危険を生じた。優しい忠告も、強い勧めも効果
がない。主任看護人はある日、武装した数人の看護人を従え、自らも責具を手にして
この患者の部屋に行き、ポタージュを患者の前に置いて「辛い目にあいたくなければ
今夜中にこれを食べろ」と雷鳴のような声で命じた。患者は来世の責苦と現世の苦痛
の恐れの間を揺れ動いたが、現世の罰への恐れが勝利し、彼はポタージュをのみ、や
がて回復した。この患者の暗い思念の流れを強い恐怖感以外のものによって押し止め
ることは果たして可能であったろうか。


 これらの3症例に登場する主任看護人とはピネルの有能かつ忠実な相棒ピュッサン
氏である。ビネル伝説の核心をなす精神病者の鉄鎖からの解放も、ピネルの前任地の
ビセートルにおいてピネルがサルペトリエールに移ってから2年後に、このピュッサ
ン氏によって実現された。ピュッサン氏は実行する人であり、ピネルは経験を整理し
記録する人、という幸福な分業が成立している。


 上に引用した症例報告だけを読むとビネル−ビュッサンのカップルは専らサディス
ティックな行動療法を好む者であるかのような印象をもってしまうが、それはこの2
人に対して公正さを欠くので第4の症例を引用する。


 症例 4 マニーの青年。ある青年が不幸な出来事に続いて父を失い、さらに数カ
月後に母を失った。青年は深い悲しみにとらわれ、不眠の果てに激しいマニーを示し
た。医師は大量の瀉血と水治浴を繰り返し、厳しい拘束を行なったが病状は悪化し
た。ビセートルに移された時、この患者は強い興奮状態にあり、前の医師から彼がき
わめて危険な患者であることが伝えられた。主任はこの話を鵜呑みにせず、最初の日
から部屋の中で彼を自由に行動させてその性格と錯乱の様相を知ろうとした。暗い沈
黙、もの思い、われにもあらず口走る言葉の断片からわれわれは彼の症状を理解する
ことができた。われわれは彼を慰め話しかけることによって少しづつ不信感を取りの
ぞき、彼に希望を与えようとした。やがて財産管理人から月々の送金がなされるよう
になり、この経済的支援によって体力は回復し、それが彼にさらなる希望を与えた。
主任に対する彼の信頼と敬意はますます大きくなり彼の理性は回復した。他の施療院
での誤った治療のために狂暴で危険とみなされていた患者が優しく弾力的な対応に
よって従願で感受性の豊かな人物に変わったのである。


 ピネル−ピュッサンはサディストではない。ピネルの治療対応の原則は「最初に強
力な抑圧を加え、ついで患者の信頼を得るために好意的な待遇を与える。われわれが
ひたすら患者のためを思っていることを患者に納得させることが肝要なのである」と
いうことにある。そしてこの行動療法の原理を体現していたのがピュッサンであっ
た。また、柔軟な対応の専門家としてピュッサン夫人がいた。「患者が盲目的な怒り
に支配され、秩序も脈絡もない思念の奔流にとらわれているならば、拘束衣か隔離に
よらなければ彼らを制御することができない。しかし、もしいくぶんか判断力が残っ
ているならば、患者間の喧嘩を止め、彼らの抵抗を克服して秩序を維持するよい方法
がある。それは彼らの反則に気づかぬふりをし、非難めいた言葉を決していわず、彼
らの考えを共有するかのようにふるまうことである。ピュッサン夫人はこの点におい
てきわめて才能豊かであった」。そしてピュッサン夫人の機略縦横の患者への対応の
実例がいくつかあげられている。


 このように有能な部下に恵まれてはいても、ビネルにも「治療困難症例」あるいは
「対応困難な事態」があった。


 まず、難治例一般についてピネルは次のように書いている。「施療院での処遇が最
も困難な精神病者、ひどく騒ぎたてたり、躁的興奮が突発しやすい患者たちは一般に
神経性気質
をもっている。(中略)このような患者は力と大胆さをあわせもっている
のできわめて危険である。突発的な情況において、互いに怪我することなく彼らに対
処する秘訣は多数の看護人を動員すること
である。それは圧倒的な備えによって患者
にある種の恐れを与えるためであり、また巧みに患者の抵抗を無効化するためでもあ
る」。


 第2は外部権力の介入である。


 症例 5 妄想をもつ未亡人。サルペトリエールに移されてきたこの未亡人は正常
な判断力を備えているかにみえたが、ただ一つの被害妄想だけをもっていた。彼女に
対する迫害は電気かある種の魔術によって加えられる。夜、彼女は窓を開き遠くから
聞こえる不気味な音や、見えざる手が企む陰謀に耳をそばだてる。そのような時、彼
女は激しく興奮し、人に危害を与えかねない。しかし昼間の彼女は穏やかであり、自
分を狂人たちの中に置くのは許しがたい不正であるといい、退院できるよう有利な診
断書を書いてほしいと私に懇願しつづけた。主任看護人は親しみをこめた対話により
彼女の妄想を打ち消し、彼女に対する影響力と信頼を得ようとした。しかし、この
時、別の権力が彼女を退院させようとして後ろ盾の保証つきで介入してきた。そして
主任の意図に逆行する密議や会話が何度も行なわれた。治療に対するこのような障害
の出現のために妄想が根付いてしまい、ついにこの病は不治とみなされた。


 第3は職員の権力乱用である。


 「革命暦10年頃、この時代の変換期においてサルペトリエールの全体的改革が必
要になっていた。しかし、このような改革を行なうには事を慎重に運ばなければなら
ない。女性職員たちは改変と不正に対して反対するという宣言を発するであろう。
(中略)彼女らはさまざまな動きを画策し、私に対して抗議を表明し、宣言をだし
た。しかし、私は自分の職責にとどまり、ピュッサン氏の廉直と豊かな経験を信じて
一切の対応を彼の権限の自由な行使に委ねた。こうして問題は解決された。女性職員
の多くが退職したので回復患者たちをその後任にあてた」。


 革命の時代はどこの国も造反有理なのであろう。それにしてもビュッサン氏の有能
ぶりは驚嘆に値する。医学・哲学概論の第4章はまるでピュッサン氏を賞賛する伝記
であるかのようだ。しかしながら、ピュッサン氏をもつてしても問題は残る。


 「女性職員たちは患者の選り好みを避け、互いの平等を維持するために興奮患者と
穏やかな患者を同じ比率で分担することにしていた。そのために施療院の至るところ
で叫び声があがり、喧騒が起こっていた。そこで、患者の配置をもっと合理的にする
ことにした。不穏状態の患者を柵のある中庭部分に移し、回復期の患者たちは院内を
自由に散歩し、作業場や大部屋で互いに会話ができるようにした。職員数は減った
が、回復者や単純作業のできる白痴の患者に清掃を手伝わせて職員不足を補うことが
できた。患者の突発的な暴力行為が発生すれば合図によって患者全員が集合し、主任
に協力した。しかしながら、興奮患者部門を担当する職員に心労と危険が集中し、彼
女たちはしばしば暴力をふるわれ、負傷することがあった。彼女たちはなんら有利な
扱いを受けることがなく、給料も他の部門の職員と同じであった。興奮患者部門には
しばしば欠員を生じ、この部門の業務をはたすことが困難になった」。


 ピネルは1人の田舎娘のことを記録に留めている。強い体力と優しい心をもったこ
の娘は6カ月間、興奮患者たちの世話に献身し、貯えた金で晴れ者を買ったが、祭り
の最初の日に一人の患者に引き裂かれてしまい、幻滅してサルペトリエールを去っ
た、と。


 第4は文字どおり兵糧攻めである。


 「ビセートルのパンの一日量が憲法制定会議によって1kgに定められたのは精神
病者の必要量を慎重に見積もった上でのことであった。私はビセートルを辞した後
も、時々患者を見舞っていた。革命暦4年霜月4日の訪問のおりに、私はパンが75
0gに減らされていることを知った。かっての回復患者たちが躁状態になり『おれた
ちを飢え死にさせる気か』と叫んでいるのを私は見た。その後、パンの配給量は20
0gまで減り、不良品の多いビスケットが補食として追加されることになったので食
料不足はさらに深刻になった。革命暦2年の死亡者数が27名であったのに、この年
の2カ月間の死亡者数が29名に達していた。


 この不幸な出来事に対して施療院の運営基金が一定にされていればよかったと嘆く
べきであったろうか。(中略)しかし行政機関がどのように決めていようと、行政は
そのきまりに対して影響力を行使し、それを大きく変更してしまうものである」


 しかし、全能の人ピュッサンはこの困難にもめげない。食品の豊かな季節に野菜を
貯え、肉食日の肉や骨髄を貯蔵して精進日にふりわけてポタージュの栄養価を高め、
肉を長く煮込んで繊維質を粥状にし、ゼラチンを水に溶解させて健康ポタージュを作
る。さらには食事を大、中、小にわけて患者の必要量に応じて分配することによって
見事にこの困難を乗り越える。


 ついでにサルペトリエールの1週間の献立を紹介しておこう。1日あたり白パン7
50g、肉250g(ただし、金曜日と土曜日には肉はない。金曜日には米700g
が、土曜日には豆300ccが代わりに出る)、ブイヨン96cc。これが固定メ
ニュウであり、豆と李とチーズとぶどうジャムが栄養量が均等になるように各曜日に
分散されて付けられる。70歳以上の老人には毎日ワインが供される。年齢毎に量が
違っていて70歳から75歳までが120cc,75歳から80歳までが240c
c、80歳から85歳までが560cc、85歳以上が500ccになっている。


 このメニューがいつのものなのかピネルは明示していないが、フランス人はよく食
べる人種である。またワインの量にも驚く。80歳を越えるお婆さんにほどんど1ボ
トルの量に近いワインを飲ませていったいどうずるつもりかと思う。1975年のフ
ランスでも総合病院、精神病院を問わず、この伝統を踏襲しているところがあった。
無論、アルコールが治療の妨げになる患者にはださない。同じフランス語圏でもスイ
スのローザンヌの病院では、患者・職員を問わず、院内禁酒が厳密におこなわれてい
た。


 ピネルの著書は疾病分類、治療学など19世紀初頭の精神医学の集大成であるが、
当面われわれに関心がある部分のみを抽出した。ピネルが施療院の管理運営において
遭遇する困難は難治性の患者、外部権力の干渉、職員管理ならびに財政面の困難であ
る。ピネルはピュッサン氏という有能な人物を得て、これらの問題の多くを解消しえ
たと書いている。それから約2世紀を経て精神医療がこれらの困難を克胆しえたかと
いえば、その答えは前節でみたとおり否定的であり、これらの問題は「処遇困難例」
ないしは「対応困難例」として概念化されてそのまま残っている。われわれの時代は
狭義の治療技法に関してピネルより進んだ。ピネルが難治例としてあげている患者た
ちの多くはわれわれにとってそれほど治療困難な事例ではないだろう。しかし、われ
われにはピネルにはなかった新たな問題がある。


 ピネルの道徳療法は患者に恐怖(要すれば苦痛も)を与えて治療者の秩序に帰順さ
せ、その後に支持的精神療法を与えることであった。秩序は治療者の側だけにあり、
患者の側には無秩序だけがある。ついに秩序に帰順しないものは不治として地下の病
室に移されてピネルの視野の外に置かれる。


 ピネルの記述には随所に患者に対する彼の人類愛ともいうべきものの表れがある。
例えば、ピュッサンがビセートルで行なった患者の鉄鎖からの解放について「忘れが
たい一人の患者がいる。彼は暗い小部屋の奥に18年間鎖につながれていたのだが、
燦々と輝く太陽を見たとたんに恍惚とした喜びにつつまれて彼は叫んだ、『長いあい
だ、こんなに美しいものを見たことがなかった』」と、ピネルは書く。患者の喜びに
共感するピネルの魂を美しいとわれわれは感じるが、この患者の喜びの前提は18年
間の鉄鎖であり、そのことにピネル自身も責任を負うものであることに思いいたれば
ピネルの視点があまりに一方的であることに気付く。これは単一の価値が支配する単
純な世界であり、そのかぎりにおいてピネル−ピュッサンのカップルは全能であっ
た。しかし、われわれの時代はそのようではありえない。治療者の秩序とともに患者
の側の秩序もある。そしてピネルの世界の単純性への郷愁が、抑圧に抗して、精神科
病院の治療スタッフの心に見果てぬ夢のように絶えず回帰してくる。しかし、これは
悪夢である。


 われわれの時代の不幸はピュッサン氏の不在のせいのみではない。

5 「処遇困難例」の視点


 精神医療サーヴィスを提供する側にいるものは「処遇困難例」の視点に同一化する
ことができないから、小説「カッコーの巣の上で」を引用する。アメリカの精神病院
を舞台にするこの小説は1962年に発表された。ここに描かれた精神科病棟は、合
衆国が巨大州立病院を中心にする精神医療から地域精神医療に移行しはじめた頃の批
判的精神病院観を凝縮したものである。そして、それは同時にアメリカ社会の画一主
義に対する批判的視点でもある。


 物語を要約する。小説の舞台は精神病院内の男子閉鎖病棟である。ここには比較的
若い急性患者と、もはや若くはない慢性患者たちがいる。慢性患者たちはコンバイン
(アメリカ社会)が産みだした屑であり、「この連中がうろうろと街路を歩きまわっ
ていれば、コンバインが、産み出した人間の名に疵がつくので」この病棟に閉じこめ
られている。急性患者は慢性患者に近付かない。慢性患者の悪臭のためではなく、
「いつか自分たち自身がなるかもしれない見本がそこにあるということを考えたくな
いから」である。


 ラチェッド婦長は「この病棟を精密機械のように正確に、そして円滑に運営してい
る。そこで、その進行が何らかの原因でちょっとでも狂うようなことがあると、ひど
く腹を立てる」。そういうものがあれば、彼女は「固い微笑の下に憤りをたぎら
せ」、その原因を始末する。つまり、「環境に適合させる」。「あなたがたは一般の
社会に適合することができないと証明されたからこそ、この病院に入っているので
す」と婦長は言い、「わたしどもが規律と秩序を強制するのは、すべてみなさんのた
めを思えばこそのことであることを理解していただきたいと考えているからです」と
穏やかな微笑とともに語る。


 病棟は規則によって動いている。6時半起床、7時食堂、8時服薬、それから急性
患者にはトランプ、慢性患者にはパズルが配られる。10時には電撃、作業療法、理
学療法などが始まる。昼食。1時から集団療法がディルームで始まり、それから患者
たちの病棟清掃、タ食、テレビ、9時30分消灯というふうに病棟の時間は流れる。
天体の運行のように正確なこの時間の流れに逆らうもの、薬の内容や治療の意味に疑
念を抱く患者は反抗的な傾向があるものとみなされる。この病棟で行なわれることは
すべて患者の治癒を目的にしており、さまざまな病棟規則はその目的達成を円滑にす
るために作られている。そうしたことに疑念をもったり、反抗するものは「精神異
常」ゆえに分別を失ったものか、「反逆的エディブスコンプレックス」に捉われてい
るものである。それゆえ、反抗的傾向を示しつづければ暴行可能性患者と記録され、
重症患者病棟に送られ、電気ショック療法や脳手術が行なわれる。


 ある日、マックマーフィーという名の大男がこの病棟に入院してくる。彼は囚人作
業農場から州の要請によって委託された患者である。「命令不服従の罪で不名誉除
隊、その後街頭、酒場などで喧嘩のやり放題。逮捕暦、数度。泥酔、殴打事件、騒
乱、賭博常習、そして少女強姦」という見事な経歴の持ち主である。彼は農場で喧嘩
をし、裁判所は精神錯乱と認定したが、「この人物は作業農場の労働をまぬがれるた
めに、精神錯乱症状をよそおっている可能性がある」という脚註付きで病院に送られ
てきた。それはマックが病院にきた理由の1つであるが、彼の真の目的は、患者たち
の多くが毎月支給されている3〜4百ドルの補償金をトランプゲームで巻き上げるこ
とであった。マックの自的と婦長の秩序は真っ向から対立する。


 病棟の規則をあげつらい、集団療法をひっかきまわし、トイレ掃除などの機会を捉
えてマックは婦長を翻弄し、怒らせる。急性患者たちは成り行きに不安を感じながら
もマックの勝利にひそかに溜飲をさげ、おずおずと、あるいはあからさまに、それま
で押さえこんできた不満を婦長に向かって表明しはじめる。マックを重症患者病棟に
送るべきだと言う医師の意見に婦長は同意しない。婦長によれば、マックは自己愛に
みちた精神分裂病患者である。彼を重症患者病棟に移せば、急性患者たちは彼を殉教
者とみなすであろう。何週間かかろうと、何年かかろうと、マックをこの病棟に引き
止めつづけ、彼が弱さや醜さを他の患者にさらす時を待たねばならない。こうして、
マックと婦長の戦いは第2ラウンドに入る。


 婦長はマックの入院以来、確実に減少しつづけている患者たちの所持金の記録を病
棟の壁に貼りだす。マックは刑期の残りの期間を越えてこの病棟に留まるつもりはな
いので、婦長に迎合しはじめる。患者たちとマックの間に亀裂が生まれる。婦長が病
棟秩序を復元し、混乱の責任を急性患者たちに問うために、患者たちのたばこを管理
し、トランプゲームの部屋を閉鎖する。再びマックの抵抗が始まり、婦長とマックの
戦いは第3ラウンドに入る。


 マックは「あんまりピカピカに磨きあげてあるんで」、そこにガラスがあることを
忘れて、詰所に積まれたたばこに手を伸ばし、その大きな手でガラスを破壊する。急
性患者たちのフットボールチームを作って病棟のデイルームでサッカーをする。外泊
許可を得た患者たちを連れ出してサイウースロー湾に船を出して鮭釣りをする。


 第3ラウンドにおけるマックの行動の目的は第1ラウンドのそれと異なっている。
マックは病棟の居心地をよくしようとしているのではなく、重症患者病棟送りの口実
を与えずに、「婦長のパンティがぷるぷる震えるほどに」婦長を怒らせて、急性患者
たちから5ドルの賭金を巻き上げようとしているのでもない。一流の賭博師である彼
が、我にもあらず行動するようになっている。


 マックは、強迫神経症の患者をとり押さえてシャワーを強要しようとしている黒人
助手を殴って電撃治療を受けるが、ヘこたれない。仕上げは、なじみのコールガール
2名にワインを病棟に持ち込ませて開く深夜のパーティである。朝の婦長の出勤前に
きれいに片付ける心算が、ワインの酩酊によって齟齬をきたす。マザコンで童貞のビ
リーが酔い潰れてコールガールと寝ているところを婦長に発見される。ビリーは自ら
を恥じて喉を切る。ビリーの自殺を告げる婦長の首をマックがしめあげる。こうして
マックは再び重症患者病棟に送られ、脳手術を受け、慢性患者になって病棟に帰って
くる。


 この物語の語り手は混血インディアンの慢性患者で、巨大な体躯をもつブロムデン
酋長である。ブロムデンは何年もの間、聴力喪失を装いつつ受動的に生きているの
で、ラチェッド婦長といえども彼には無警戒になっている。彼がスタッフカンファレ
ンスの場で黙々と掃除していても誰も怪しまない。それゆえ彼は病棟のすべての出来
事を知ることができる。


 この事件のあとラチェッド婦長の権威は失墜し、急性患者たちは次々に病棟を去っ
ていく。ラチェッド婦長の病棟は崩壊する。慢性患者になってかたわらのベッドに横
たわるマックマーフィーを見るに忍びず、ブロムデンはその巨大な体躯をマックの顔
の上に乗せて窒息死させる。それからブロムデン酋長は病棟の壁を破って立ち去る。
彼は崩壊する世界から一人生還してこの物語を残す。これはメルヴィルの「白鯨」の
語りの構図である。マックマーフィーの黒いパンツに白い鯨の縫いとりがあるからに
は、彼は白鯨に擬されているのであろう。ラチェッド婦長はエイハブ船長である。
 この物語には、楽観的で単純な、精神病院解体讃歌はない。


 マックマーフィーにとって、ラチェッド婦長の病棟は「中共軍の捕虜収容所にそっ
くり」であり、患者個人の問題をとりあげてグループ討議する集団精神療法の場は、
傷ついた仲間を突つきまわす鶏の「突っつきパーティ」である。鶏は仲間の目を突く
が、婦長は男たちの金玉を突ついて骨抜きにする。しかし、マックマーフィーもブロ
ムデンも、婦長が諸悪の根源ではないことを知っている。婦長は精神科病棟の全体主
義的秩序を化肉する存在であるが、その背後にはアメリカ社会全体(コンバイン)が
ある。


 コンバインはいかなるイデオロジーによってもこの作品のなかに表象されていない
が、それは例えば、マック一行の乗船を拒むサイウースロー湾の釣り舟の船長の次の
ようなことばによって示される。「いいかね、あんた。あんな連中を海へ連れていけ
ば、いつネズミのように舷側から飛び出さんともかぎらん。そうなりゃ、親族の者が
訴えて、わしの財産をみんな奪いとることだってあり得る。権利放棄書をもってき
て、わしにいっさい責任がかからないようにしてくれなければ、船はださん」。ある
いは、それは、「無許可外出者の90パーセントが2、3日後には自分で姿を現わ
し、無一文になり、酔っ払い、タダのベッドと食べ物を求めてのここ(病院に)やっ
てくる」という文章によって示される。さらには、それはビリーのマックに向けられ
た次の言葉の中に現れる。「ぼくがす、す、好きでこんな所にいると思うんですか?
オープンカーやガ、ガ、ガールフレンドなんか嫌いだとでも思っているんですか?あ
んたには人からあ、あざ笑われるなんて経験ないんでしょ?ないでしょうね。あんた
はとても大きいし、それにすごくタフだもん!(中略)それを、あんた、あんたはぼ
くたちが好きでここにいるような、く、口ぶりで話す!」。


 精神科病棟のなかの白鯨は急性患者集団から孤立し、エイハブ船長はコンバインか
ら孤立している。白鯨と工イハブは、精神障害者に関するコンバインの二重拘束的言
説を、まるで1枚の紙が表裏に分離可能であるかのように分離してみせた虚構であ
る。白鯨の飼育海域を限定しさえすれば精神科病棟群が幸福に成立すると主張する精
神科病院のイデオロジーも、エイハブ船長のアキレス腱を切りさえすれば精神障害者
が救済されるという人権主義者たちのイデオロジーも、すべて虚構である。

6 おわりに


 何年もの間、「処遇困難例」の問題は私の強迫観念になっている。これら5つの断
片的考察は、この4〜5年のあいだに、私の強迫症状が悪化するたびに、いわば自己
治療の試みとして書き留めてきたものである。「処遇困難例」に関する思案は完結す
ることがない。なぜなら、「処遇困難例」とは、サミュエル・ベケット作「ゴドーを
待ちながら」の冒頭の台詞を借用すれば、「どうにもならん」ということであり、な
ぜ「どうにもならん」かといえば、処遇困難例は社会と精神科病院という制度の矛盾
から析出してくる存在であるからだ。処遇困難例をどんなに辺境に追放してみたとこ
ろで、社会も精神科病院という制度も自らの矛盾を解消することはできない。


 私の強迫観念はまだなおっていないから、私はこれをなお書きついでいくのであろ
うし、そのあとは同僚の誰かがさらにこれを書きついでいくことになるのであろう。

文献
1 Girard,R.:La Violence et le sacr´e.
  Grasset,Paris,1972.
2 花輪昭太郎:公立病院の立場から。日精協誌、16;29−40、1997。
3 Pine1,P.:Trait´e m´edico‐philosophiq
ue
  sur 1’ali´enation mentale,2´eme
´edition,(1809),Arno Press,New York,
1976.


法務省・厚生労働省合同検討会

関連資料

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