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2002年(平成14年)3月7日
内閣総理大臣 小 泉 純一郎 殿
衆議院議長 綿 貫 民 輔 殿
参議院議長 井 上 裕 殿京都弁護士会
会 長 福 井 啓 介重大な触法行為をした精神障害者に対する
新たな処遇制度案についての意見書第1 はじめに
政府は、犯罪にあたる行為をした精神障害者の処遇について新たな法案を今通常国会に上程しようとしている。この新たな法案については、2002年(平成14年)2月14日付「重大な触法行為をした精神障害者に対する新たな処遇制度(案)骨子」により、その概要は明らかになりつつある。
当会は、以下の理由により、この新たな処分制度案(以下「政府案」という)に強く反対するものである。第2 政府案の問題点
1 誰が何を判断するのか
1) 政府案において処遇の対象とされているのは、- (1) 刑事裁判により殺人、放火、強姦・強制わいせつ、強盗、傷害(以下「対象行為」という)を行い、心神喪失または心神耗弱であると認められた者(刑に服する者を除く)と、
(2) 不起訴処分になった者のうち、対象行為に該当する行為を行い、心神喪失または心神耗弱であると合議体の裁判官により認められた者- である。
これらの者について、裁判官と精神科医の各1人の一致した判断により、入院をさせて医療を行わなければ、心神喪失又は心神耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれ(以下「再犯のおそれ」という)があると認める場合には入院決定を、入院決定をする場合を除き継続的な医療を行わなければ、「再犯のおそれ」があると認められる場合には精神保健観察下の通院の決定を行うものとされている。
2) これは、「精神障害による自傷他害のおそれの有無」を精神保健指定医2人が医学的に判断する現行の措置入院制度とは全く異なっている。- しかし、自民党・心神喪失者等の触法及び精神医療に関するプロジェクトチーム案でも述べられているとおり、精神障害者の犯罪率は低く、これまでの統計データから再犯率についても一般犯罪者の再犯率よりも著しく低いのであるから、特別に精神障害者について危険性を理由に対策すべき根拠はそもそも存在しない。
また、刑罰としての拘禁を責任能力のない者に科すことができないことは、刑法の大原則である責任主義からすれば当然のことであり、他方、現行措置入院制度は治療という本人の利益を根拠として辛うじて正当化されるものである。危険性を根拠とする拘禁はまさに刑罰に代わる処罰としての拘禁であり、しかも長期間の拘禁となるおそれが強い。たとえ期間制限を設けたとしても、危険性を根拠とする限り、治療に名を借りた拘禁となるおそれを排除することはできない。しかるに、政府案は上限すら設けることなく際限のない拘禁を可能とするものであり、かつて否定された保安処分以上に危険なものである。
そもそも、将来の危険性予測は医学的に不可能であるというのが過去長年月を費やした保安処分論争の結論であったはずである。もし、仮に相当の確率での予測が可能になったとしても、誤った判定によって危険性のない人まで拘束されてしまう可能性は否定できない。
現行の措置入院制度にあって精神保健指定医が行っている「精神障害による自傷他害のおそれ」の判断は、本人のための治療目的での医学的判断であって、社会防衛のための治安目的での「再犯のおそれ」の判断とは質的に異なっている。現行の措置入院制度で自傷他害のおそれの判断がなされているのだから、将来の危険性予測が医学的に可能であるはずだといった類の議論は両者の質的差異を理解しないものである。
3) この裁判官と精神科医の合議体において、精神科医が医学的観点から対象者の現在の症状について強制入院による強制治療の必要性が認められないと判断した場合に、裁判官が「再犯のおそれ」を理由に拘禁の必要性を主張するとすれば、それはまさしく強制治療の必要のない者を施設に拘禁せよということである。逆に、精神科医の医学的判断が優先するのであれば、裁判官を判断者に加える必要はなく現行の措置入院制度と同様に精神科医に強制入院の要否判断を委ねなければならないはずである。
4) 結局、政府案は、精神障害者を特別に危険視し、医学的に必要性のない場合でも、施設へ入れることによって社会から隔離し、「治療なき拘禁」の結果を生むものである。
しかも、政府案は、「再犯のおそれ」の対象行為に単なる傷害罪も含め、かつ、この強制入院期間に上限を設けないことから、この「治療なき拘禁」は広範囲の精神障害者を終身拘禁することが可能という恐るべき人権侵害制度というほかない。
2 事実認定手続をどうするのか
政府案においては、不起訴処分をされた者についての、(1)対象行為と、(2)心神喪失又は心神耗弱の認定は、合議体の裁判官が行うとされている。そして、その手続としては、「裁判所は、事実の取調べ、証人尋問等を行うことができることとする」と職権主義的構造が予定されている。
しかし、そもそも憲法が裁判を受ける権利を保障し、裁判によらなければ刑罰を科せられないとしたのは、裁判を行う裁判官という個人の能力自体を中立公平で信頼に足りるものと考えたからではない。適正手続の保障、とりわけ当事者主義的構造によって事実認定を行うことにより、裁判の中立公平性を担保しているからである。裁判所ないし裁判官に対する社会の信頼を担保しているのは、実は裁判官個人の能力ではなく、システムとしての適正手続である。
それゆえ、当事者主義的構造による事実認定を行うのでなければ、中立公平性の担保すらなく、過去に否定された保安処分以上に危険なものとなってしまう。
3 専門治療施設の専門性はどこにあるのか
政府案では、入院先は「指定入院医療機関」という専門治療施設とされている。しかし、この専門性とは具体的にはどのような専門性なのであろうか。
医学的に、精神障害者について「犯罪にあたる行為をした」か否かの区別による特別な専門的治療法があるわけではない。とすれば、専門治療施設の専門性が医学的治療の観点からの専門性であるとは考えられない。むしろ、「犯罪にあたる行為をした」ことによる特別な施設と考えられ、従って、拘禁を主目的にした施設でしかないと予想される。しかも、そのような専門治療施設への強制入院は精神病院入院歴以上に強いラベリングを伴い、退院後の社会復帰をより一層困難にするであろう。
仮に、もし「犯罪にあたる行為をした精神障害者」に対する専門的治療法があるというのなら、現在においても、医療刑務所等において、精神障害を持つ受刑者に対して行われていて然るべきであろう。医療刑務所等での精神科治療の実態、その治療効果などについて情報を開示し、その実証的検討をこそ最初に行うべきである。
4 精神保健観察下の治療は可能なのか
政府案では、保護観察所に新設する精神保健観察官による観察の下での強制通院制度を新設している。確かに、治療中断を避けて医療の継続を図ろうという目的自体は正当であろう。しかし、継続的な医療が確保できないと認める場合には再入院というペナルティを課して通院を強制することによって、治療関係が成立するかどうか疑問である。なぜなら、とりわけ精神医療においては、信頼関係は治療の基本であり、それなくしては治療自体が成り立たないからである。
また、保護観察所は法務省管轄の機関であり、医療・福祉のための機関ではない。保護観察所の長は、「再犯のおそれ」の有無を判断して、通院期間の延長またはこの法律による医療終了の申立を行うのであり、あくまでも治安の観点から通院患者を見るのである。精神保健観察官を新設し、精神保健福祉士の有資格者から採用したとしても、治療関係の維持にどれほどの有効性があるのか疑問である。
しかも、実際に医療を提供するのは保護観察所ではないのだから、地域医療の受け入れ態勢ができていなければ、通院治療継続の実現可能性は乏しい。退院後の治療中断を防止するためには、このような再入院の威嚇による強制ではなく、患者自ら安心して通院しやすい地域医療を充実させることこそがまず必要である。
5 精神障害者の権利保障は考えられているのか
政府案においても、入院又は通院の要否の審判については、さすがに必要的弁護(付添)事件とされている。そうだとしても、本人及び選任された付添人弁護士は何ができるのであろうか。審判手続において、当事者としての権利はなく、わずかに、入院決定等に対する高裁への抗告と審判に対する意見申述・資料提出権、この法律による医療終了の申立権が認められているだけである。
審判手続において、当事者としての権利のみならず、精神障害者本人の権利擁護の観点から、少なくとも「精神病者の保護及び精神保健ケアの改善のための原則」(1991年12月12日国連総会決議)や現行の精神保健福祉法で認められている本人からの第三者機関への退院請求権、処遇改善請求権や、指定入院医療機関における面会や通信の自由と秘密交通権、情報公開、第三者機関による監視などの保障がなければ、宇都宮病院事件をはじめとする精神病院における人権侵害と大阪拘置所における精神障害者死亡事件のような刑事施設における人権侵害とが再び発生する二重の危険性を免れない。そのことは充分に予想できるにもかかわらず、政府案において人権侵害を防止するに足りる権利保障が何ら構想されないことは、その性格を如実に物語ることになる。
6 まとめ
以上の問題点によれば、政府案は、犯罪にあたる行為をした精神障害者について、治療と称しつつ隔離を中心とした新たな社会防衛処分を科そうとするものと言うべきである。
犯罪にあたる行為をした精神障害者に対する現行制度の問題の中心は、簡易鑑定の不透明さ、検察官の安易な不起訴・起訴と刑事手続中の精神医療との連携の不十分さにあるところ、政府案は、これらの問題点を改善するものとは言えない。
与党、自民党のプロジェクトチーム案では、新たな強制入通院制度の導入と並んで、精神障害者に対する医療及び福祉の充実が謳われてはいる。しかしながら、前述の新しい拘禁制度新設の熱意に比してあまりにも抽象的一般的であって、実施意欲を疑わざるを得ない。
精神障害を背景として、社会のみならず自らも傷つける不幸な事件が発生することをなくすには、既に全国自治体病院協議会も指摘しているように、- (1)総合病院に精神科病棟を併設するなどして身近なところで良質な精神科治療を受けられる社会体制を早急に構築すること、
- (2)差別や偏見を解消して精神障害者が自ら進んで精神科医療を受けられる社会を実現すること、
- (3)容易に適切な治療を受けられる精神科救急医療体制を整備すること、
- (4)一般医療の3分の1の医師数で足りるとする精神病棟の劣悪な医療法制を即刻廃して精神科治療の水準を上げること、
- (5)周囲に気兼ねなく自分のペースで生活できる居住施設や心おきなく仕事ができる共同作業所などの社会復帰施設の整備、
- (6)いつでも電話できる24時間相談体制の確保や自助グループの支援、等の日本の精神医療、精神障害者福祉の抜本改革こそが緊急の課題である。
また、精神障害者による犯罪に限らず、犯罪被害者への配慮は重要な問題であり、犯罪被害者給付金制度の充実等による経済的支援策、被害者の心身のケア推進、事件情報の合理的開示と報道被害や二次被害の防止などの総合的な対策がなされるべきである。第3 おわりに
政府案をはじめ、制度新設を押し進めようとする議論の中には現行制度の運用上の問題点指摘も含まれており、この指摘は刑事司法と精神医療の重なり合う分野の問題として、当会も真摯に受け止めているものである。
しかしながら、事実に基づいて分析された問題点でなければ対策を誤るであろうし、問題点に対応した改善策でなければ実際に改善することはできない。指摘されている問題点は、安易に新たな制度を創設することで解決できるものではなく、現行制度の運用の改善に全力を注ぐべきものである。
政府案は、統計的事実に反して犯罪にあたる行為をした精神障害者を特別に危険視しており、過去に否定された保安処分以上に危険かつ不正義なものである。
よって、当会はこの政府案に強く反対するものである。
以上
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