全国精労協Home>資料庫>声明一覧>

2002年2月8日


「重大な犯罪を犯した精神障害者に対する法律案」について


弁護士 八尋光秀

一 問題点
 2002年2月3日朝日新聞日刊は、一面に「重大犯罪犯した精神障害者、入院期間上限設けず、再犯の恐れ要件に」と大書きした。「重大な犯罪行為をしながら刑事責任能力がなく罪に問えない精神障害者について政府が導入しようとしている処遇システム」を紹介した記事である。「再犯のおそれ」によって治療施設への入院や通院を命じ、6ヶ月ごとに裁判所がその必要性をチェックし延長するが、入院期間の上限は設けない、という。
 殺人などの重大な犯罪を犯しながら、精神障害を理由にしさえすれば、社会の中で自由に生きられるというのはおかしい。被害者は居たたまれない。しかも、それが度重なることがあり、社会不安をかき立てている。精神に障害があっても相応のペナルティーは科されるべきで、必要な治療を受けるべき義務がある。今ある精神医療では、これらのタイプの障害に対応し得ない。この間に出された必要論の意見のいくつかである。
 必要論であれ、否定論であれ、全体の政策、目標は次の3点にあると思われる。この目標に正しく有効な政策は何か、最も負担対効果率の高いものは何か、予想される弊害の回避・回復可能性はあるか、などを考慮しつつ、慎重に政策の当否を論じなければならないと思う。
  (1) 精神障害者が社会の中で安心して暮らしていけるようになること。
  (2) 犯罪被害者に対する救済が十分になされること。
  (3) できるだけ犯罪が防止されること。

二 現状の素描
 我国の「精神障害者」総数は220万人ないし240万人とされている。家族単位でいえば、10家族に1家族はこの「精神障害者」とともに暮らしていることになり、親類、縁者、知人を加えると、ほとんどの人が身近にこの障害をもつことになる。
 入院患者総数はおよそ33万人、措置入院4000人、医療保護入院9万人、任意入院23万人、その他の構成である。すべての入院患者が施設の中で少なからず不自由を強いられている。任意入院の患者も含めて、およそ半数を超える17万8000人の患者は24時間出入口を施錠された閉鎖病棟に隔離されている。約46%にあたる15万人が5年以上の入院期間となっている。
 我国の精神医療においては、医師は患者48人に1人、看護婦は同6人に1人、薬剤師は同150人に1人が基準とされ、一般医療における同16人に1人、3人に1人、70人に1人との基準に比して3分の1ないし半分の質しか保ち得ない低劣さが容認されている。しかも、この基準でさえ下回る施設が3割に及んでいる。
 我国の刑事施設は未決、既決を合わせて約6万5000人定員で、年間懲役・禁固の有罪判決を受ける者およそ6万人のうち実刑判決を受ける者は2万2000人にとどまる。このうち5年以上の刑を受ける者は1500人にとどまる。また、現に収容される期間が5年を超える者は収容者全体の3ないし4%に過ぎない。
 交通業過検挙は年間約65万人に及び、これを除く刑法犯検挙は約31万人。刑法犯検挙のうち「精神障害者」約700人、「精神障害の疑いのある者」約1400人とされ、両者を合わせて「精神障害者等」の比率は0.6%で推移している。(我国の精神障害有病率は2%。)再犯率は全体でおよそ30%、「精神障害者等」においてはおよそ15%である。
 重大犯罪、例えば、殺人検挙の総数はおよそ1400人とされ、うち130人(9%)が「精神障害者等」とされる。(重大犯罪の場合、犯行時に精神状態が極限まで追い込まれることが多いという事情がある)。うち約100人が心神喪失を理由として不起訴、その余は起訴され、ほとんど心神耗弱とされる。心神喪失で無罪とされるのは年間0〜3件(平成8年〜12年)である。
 我国では65万件の交通業過を含めた90万件の交通事故により110万人が負傷し、うち8万人が重傷を負い、うち1万人が死亡している。
 我国では半世紀に及んで、精神医療を一般医療と比べて格段に安上がりの医療政策のもとにおいてきた。その当然の結果として、精神医療施設は特別に低劣な環境しか提供できず、精神医療はいわば「医療なき隔離」と酷評される悲しい現実を背負ってきた。医療スタッフの不足や半数を超える病棟が24時間閉鎖であることなど、現在においても基本的には同様の状況にある。
 このような精神医療の実態は、精神障害は危険で恐ろしい病気だ、という誤った社会認識をはびこらせた。そのため、人々の精神医療への近寄りを著しく阻害している。
 一般に「精神障害者等」の犯罪率、再犯率が高いとする統計上の証拠はなく、むしろ、多くの証拠は少ないことを示している。
 人命被害で「精神障害者等」に関連するものは、交通事故のそれと比べて100分の1の確率でしか生じていない。
 我国で今モデルにしようとしているイギリスにおける犯罪動向と比べて、我国の「精神障害者等」の犯罪が頻発し重大であるという事情はない。
 イギリスでは、入院患者のためのベッドは3万床で、うち約5000人が非任意入院、いわゆる司法精神ユニットはこのうち1500人とされる。なお、イギリスと日本の人口比は1対2である。
 イギリスでは、年間3500人から4000人が交通事故死し、殺人検挙の総数は600人から700人(認知件数は我国より若干多い。)で、うち精神障害者関連は80人とされる。
 イギリスにおいて、司法精神医療はあくまでも精神医療、そして一般医療として、同一の枠組みの中で同じ医療として存在するものである。一般医療の中における資金面を心配しない高度医療であるに過ぎない。精神医療では、地域精神医療が徹底され、患者は社会、地域の中にいながら有効、適切な治療と援助を受けることができる。
 もちろん、精神当番弁護士制度が整備されているのである。
 イギリスは今でも悲惨な事件が生じるたびに、「精神障害者」の取締りを強弁する一部政府関係者とマスコミが出現し、キャンペーンをはっている。そのたびに精神障害ゆえに犯罪が多く、あるいは残虐だとの誤った喧伝がなされる。しかし、それが誤った社会認識であることを繰り返し訴え続けなければならない状況にある。(以上、イギリスの状況については2002年2月2日ロンドン大学精神医療研究所 司法精神医学部門主任教授ジョン・ガン氏より聴取した。)
 その意味で、我国も同様である。

三 新たな強制隔離、強制治療制度の創設において留意しなければならない諸点
 今回の「重大な犯罪を犯した精神障害者に対する法律案」は、「精神障害者等」に対する新たな強制隔離、強制治療制度を創設するものである。この場合、考慮しなければならない点は、次の1〜31である。
1  我国では精神障害は危険で恐ろしいという誤った社会認識が定着していること。
2  我国では、犯罪発生率、再犯率は下回っていることが共通の認識であること、少なくとも、多いという根拠はないこと。
3  池田小事件などの対策としては無意味な制度提言であること。
4  地域精神医療福祉の欠落が事件の未然防止のうえで致命的な原因であること。
5  有効な治療体制はなく、初犯、再犯防止のための効果は隔離それ自体によるところ以上には何ら見込めないこと。
6  これまで「危険性」や「再犯可能性」の判断は5割以上誤っていると指摘されること。
7  治療継続を観察する人的、物的手段が欠けていること。これは地域精神医療の欠落が表裏の原因であること。
8  「処遇困難」と「触法」を混同する誤った認識が形成されていること。(「処遇困難」とされる人のうち「触法」は2割程度とされる。)
9  人格障害(あるいは一過性の精神症状)と責任能力とを混同する誤った認識が形成されていること。
10  「処遇困難」とされるケースの多くは、その背景に有効な治療、援助を提供できずに強制隔離だけを無期限に継続していることにあること。
11  我国の精神医療は極端な入院中心(強制隔離政策)主義であること。
12  我国では精神病院への入院は隔離そのものであること。
13  我国の精神医療はインテグレーション(統合)が達成されていないこと。
14  犯罪の防止(初犯、再犯防止)はすべからく求められるテーマであり、「精神障害等」に限定して特別に厳重な対策をとることの合理性を示し得ないこと。
15  社会的な孤立、貧困、虐待、抑圧などが犯罪を誘発することはあっても、精神障害そのものが犯罪を誘発することはないこと。
16  なすべき精神医療の質、治療内容に格差はないとされること。
17  初犯を防ぐには適時、適切な治療機会の提供が不可欠とされていること。
18  保護観察所に「治療継続の管理、観察」をさせることは不可能であるし、誤った社会認識を更に植え付けること。
19  精神障害者だけが「再犯のおそれ」の認定を受け、これを理由にペナルティを受けることの合理性はないこと。
20  アルコール、薬物依存症についての対応は任意が基本であること。
21  犯罪事実の認定はいかなる場合も司法手続によらなければならないこと。
22  期間の定めない強制隔離は許されないこと。
23  現行責任能力判断の前提となる精神鑑定そのものにばらつきが激しく(病像把握そのものが異なったりしている)、近い将来に平準化されることは困難な現状にあること。
24  「処遇・収容要件」としての「再犯のおそれ」、「治療の必要」は適正手続にふさわしく、基準化、標準化できるものでなければならないこと。
25  「処遇・収容要件」としての「再犯のおそれ」、「治療の必要」は基準化、標準化されておらず、近い将来に達成し得る見込みは全く立っていないこと。
26  刑罰に代わる強制隔離、強制治療であれば、罪刑法定主義、責任主義、適正手続保障は必須であること。
27  新たな強制隔離政策は誤った社会認識を新たに作出助長し、対象者に更なる人生被害をもたらすこと。
28  隔離医療政策は医療への近寄りを困難にすること。
29  隔離医療は患者の社会的孤立を深めること。
30  社会内において治療が継続できることこそ精神医療も含めた医療の最終目標であること。
31  新制度による新たな、スティグマ、更なるラベリングを回避することは不可能であること。

四 見  解
 犯罪被害の救済、回復及び犯罪の防止は、ひとり「精神障害者等」対策を独自に立てることにより効果を見込めるものではない。犯罪被害の救済、回復は経済的給付と心理、社会的な支援策が総合的に行なわれなくてはならない。また、犯罪の防止も、社会的な孤立、貧困、被虐、抑圧などの解消と事後的なケアの確立なくして何らの効果も得られない。
 精神医療に限らず、医療の必要や危険性を理由に強制隔離・強制治療を認めることは厳に慎まなければならない。
 現在の我国の精神医療をめぐる困難は、すべて期間制限のない強制隔離を軸とした入院中心施策にその原因がある。その半世紀にわたる推進によって、患者に深刻な人生被害を与えただけではなく、精神障害に対する誤った社会認識(差別、偏見)を作出、助長したことにある。すべての患者は社会的孤立に追い込まれ、隔離と絶望と抑圧の中での生活を強いられてきた。今でも強いられている。
 誤った社会認識のうえに立った「世論」「民意」に正当性はない。専門家、とりわけ法律専門家は、これを是正すべき義務こそあれ、追随することは許されない。
 地域精神医療、インテグレーション、通院中心の医療への転化、そのために無期限の強制隔離条項を全廃し、一般医療並みの質を確保し、今ある医療政策としての不合理な格差を解消しなければならない。
 過渡的な措置として、精神保健福祉法の強制隔離条項を見直し、その要件を厳格化(期間制限を定め、審査会における事実審理の適正手続化をはかるなど)し、あるいはその判定基準を標準化(自傷他害のおそれ、同意能力などの判定について)すること、また、治療、看護、福祉等の措置の質的向上(報酬見直し)をすること、更に、中間施設の充実、訪問診療制度の確立などによる、地域医療システムの拡充をすることが必要不可欠である。
 半世紀もの間、安上がりの精神医療政策を患者の強制隔離という手法で維持してきた私たちの社会で、この誤った過去を是正することなく、夢のような精神医療も「精神障害者等に対する」政策もあるはずはない。
 更なる隔離と治療を強制する法律と政策は有害、無益である。


以 上


関連

「対等・平等な社会制度の確立」 2001年9月20日、福岡弁護士会の八尋光秀弁護士のメッセージ
弁護士の意義問われた、 「人間回復」支え続けたい 八尋 光秀さん 熊本地裁ハンセン病訴訟の弁護団代表
2001年6月28日毎日新聞 ひと

精神障害者事件、隔離医療に問題…ハンセン病訴訟弁護団代表に聞く 2001年7月10日毎日新聞


「重大な犯罪行為をした精神障害者」問題 法務省・厚生労働省合同検討会

重大犯障害者の処遇法案〜与党・政府の動向

精神医療ニュースへ

全国精神医療労働組合協議会

事務局 : 〒604-8854 京都市中京区壬生仙念町30-2

ラボール京都4F 京都民間医労連気付

Tel/Fax: 075-811-5672

E-mail mailto:zenkoku@seirokyo.com

全国精労協ホームページ

2002/07/10 06:01:26;51460;f6876db868v;RETR;ok;/htdocs/archive/folder1/shokuhou/seimei/020208yahiro.html