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精神障害者と人権


精神障害者の犯罪をどのように考えるべきか
安心してかかれる精神医療の確立こそ急務


里見和夫 弁護士/NPO大阪精神医療人権センター代表理事

出典:雑誌「部落解放」491号(2001年9月 解放出版社発行)より

里見和夫さんと雑誌「部落解放」編集部の了解をえて掲載させていただきました。

 二〇〇一年六月八日に起こった池田小学校事件に関する警察情報、マスコミ報道は、当初に比べると大幅に変わった。
 当初、容疑者には、精神科の入通院歴があり、犯行直前に大量の精神安定剤を服用、阪急池田駅で百人ぐらいを殺したが、池田小学校へは行ったことはないという供述をしている→精神障害者による精神症状の悪化に伴う犯行→危険な精神障害者→措置入院の安易な解除→触法精神障害者対策や保安処分導入が必要――などというマスコミ報道が矢継ぎ早に、かつ洪水のように流されてきた。
 ところが、その後、大量の精神安定剤を服用したとか、阪急池田駅で百人ぐらいを殺したが、池田小学校へは行ったことはないという容疑者の供述などは、精神症状が悪かったことを装って自らの罪を軽くするための作り話であったことが報道されるにいたった。そうすると、当初の精神障害者の危険性を煽り立てる洪水のような報道は、いったいなんだったのかといいたくなる。
 過去においても、精神科の治療歴のある人が犯罪を犯した場合、マスコミは、その犯罪と精神科の治療歴との間に関係があるのか否か――換言すれば、精神症状による影響のために犯罪を犯したのか――を十分検証しないまま、漫然と「精神科治療歴あり」と書くことが非常に多くあり、そのことが「精神障害者は何をするかわからない。危険だ」というような世間の偏見をいっそう強める役割を果たしてきた。
 池田小学校事件の容疑者は、精神科の入通院歴があるが、そのことと今回の事件との間になんらかの因果関係があるか否かは、これから慎重に見極められなければならない。
 しかし、すでに、これまでのマスコミ報道により、今回の事件が精神障害と因果関係のある犯罪であり、精神障害者は危険で犯罪を犯しやすい存在であるかのような誤ったイメージが一般市民の間に刷り込まれてしまい、それを前提として、「危険な精神障害者を“野放し”にしておいてよいのか」「刑法三九条を廃止せよ」「特殊精神病院を作れ」「保安処分制度を新設せよ」などの誤った議論が声高に行われている。
 このような議論の暴走を許さないために、精神障害者の犯罪をどのように考えるべきか、現在の精神医療の実態はどうなっているのか、何を改善すべきなのか、障害のある人もない人も地域で共に生きていくために何が必要かなどについて以下に述べる。

日本の総人口は約126,500,000人――――――――A
      (1998年10月時点)
そのうち約2,170,000人が精神障害者といわれている
           (厚生省の推計)―――B
刑法犯検挙人員 315,355人――――――――――C
(交通関係業務上過失事件を除く)
Cのうち精神障害者     636人

Cのうちその疑いのある者 1,361人
          合計 1,997人――――――D

*C、Dの人数は『平成12年版 犯罪白書』による。

犯罪を犯した者が総人口の中に占める割合
 C(315,355)
――――――――×100=0.25%
A(126,500,000)

犯罪を犯した精神障害者が
精神障害者全体の中に占める割合
(疑いのある者を含む)
 D(1,997)
―――――――×100=0.09%
B(2,170,000)

精神障害者は犯罪を犯しやすいのか
 上の表を見ていただきたい。この計算から明らかなように、精神障害者が犯罪を犯す率(〇・〇九%)は、国民全体が犯罪を犯す率(〇・二五%)に比べて三分の一程度と非常に低いことがわかる。
 ただ、殺人や放火により検挙された人員については、精神障害者が占める割合がかなり高いことから、これを精神障害者は危険であることの根拠として主張する学者もいる。しかし、殺人や放火を犯した精神障害者は、その犯行当時、治療を受けていなかったり、治療が中断していた場合が多く、もし適切な医療を受けることができていれば、かなりの部分は、不幸にして犯罪を犯すにいたることは避けられたのではないかといわれている。いずれにしても、全体として精神障害者の犯罪率は低いという事実のもつ重要な意味はなんら変わらない。

 これについては、現在マスコミなどで、保安処分制度を新設して犯罪を犯した精神障害者を収容すべきであると声高に主張している山上皓氏(東京医科歯科大学教授)が精神障害者と健常者の再犯率を調査しているが、それによっても、犯罪を犯した精神障害者の再犯率は、そうでない者に比べて低いことが明らかとなっている。
 さらに、同調査は、殺人の罪を犯した精神障害者がふたたび殺人を犯す率は、殺人の罪を犯した健常者がふたたび殺人を犯す率とほとんど変わらず、放火の再犯率は健常者のほうがかなり高いことを示している。
 したがって、同調査によると、犯罪を犯した精神障害者の再犯率は、殺人、放火もふくめて、健常者と同じかそれよりはるかに低いということになる。ほかに、精神障害者の再犯率が健常者に比べて高いことを示すデータはまったくないから、精神障害者は犯罪を繰り返す傾向があるという主張には何の根拠もない。

精神障害者が犯罪を犯したとき、どのような扱いを受けるか


●責任能力とは何か


 刑法三九条は、「心神喪失者の行為は、罰しない」(一項)、「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」(二項)と定めている。
 心神喪失者とは責任能力のない者のことであり、心神耗弱者とは責任能力が著しく低い者を意味する。以下においては、紙数の関係で主として心神喪失(責任無能力)の場合について述べる。
 ある犯罪を犯した者に対して刑罰を科すのは、その者が、たとえば、人を殺してはいけないということを正常な判断能力のもとで十分理解できているにもかかわらず、敢えて人を殺す行為をした場合には、その者は非難されて当然であると考えられるからである。
 逆に、もし、犯罪を犯した者が、なんらかの理由(たとえば、精神症状が悪いなど)により、犯行当時、その行為を行うことの是非について正常な判断能力を有しておらず、正常な判断にもとづいて行動する能力がない場合には、その者に刑罰を科すことはできないということになる。このように、自分の行為の是非を判断し、その判断に従って行動することのできる能力を責任能力という。
 日本は、欧米諸国と同じく、責任能力がない者に対しては刑罰を科すことはできないという考え方をとっている(責任主義刑法)。したがって、責任能力がないと判定された場合、その者は、刑罰(司法)の領域から、精神症状を改善するための医療の領域に移ることになる。
 刑法三九条を廃止すべきだという議論があるが、それは、この責任主義刑法の理念を理解しないものといわねばならない。

●責任能力の有無は誰が判定するのか


 犯罪を犯した者に責任能力があるか否かは、その者に刑罰を科すことができるか否かを決定する重要なものであるから、その判定は原則として裁判所が正式な精神鑑定などにもとづいて行うべきである。
 ところが、現実には、犯罪を犯した精神障害者(表のDの千九百九十七人)のうち、約九割については、検察官が責任能力の有無を判定し、不起訴処分にしている。しかも、その判定のために、きっちりした精神鑑定を行っているケースはむしろ少なく、非常にズサンという批判の強い簡易鑑定に頼っているのが実情で、なかにはその簡易鑑定すら行わず、診断書などの資料によって判定を行っているケースがかなりあるといわれている。
 「責任能力がなければ、刑罰を科すことができない」という責任主義の考え方について、一般市民の納得が必ずしも十分得られていない理由のひとつが、このあたりにあるように思われる。
 たしかに検察官は、警察から送致されてきた事件について、起訴するかどうかを決定する権限を有している(起訴便宜主義)。
 精神障害者が犯した事件の場合、前述したとおり、その約九割が検察官によって責任能力の有無が判断され、不起訴処分となり、正式に裁判にかけられることがない。ちなみに、健常者の場合の不起訴率は約四割にとどまる。
 検察官は、このようにして不起訴処分にした精神障害者について、精神保健福祉法二五条により知事に通報し、その結果、当該精神障害者は、精神保健指定医による診断をへて、知事によって強制入院(措置入院)させられることが多い。
 殺人、放火、強盗など重大な犯罪についても、この不起訴率はあまり変わらない(八三〜八九%)。
 精神障害者の犯罪であれば、万引きや住居侵入、器物損壊など比較的軽微な犯罪をふくめてすべて起訴すべきだというつもりはないが、重大な犯罪については起訴して、裁判の場で、まずほんとうにその精神障害者が犯罪行為を行ったのかどうか、次に、行ったことは間違いない場合には、その行為当時、責任能力があったかどうか、正式に認定、判断されるべきである。
 ところが、現実には、精神障害者と思われる「犯人」が一応逮捕されたが、検察官が不起訴処分にした場合には、その経過は公表されず、むろん裁判も行われないため、被害者や一般市民には、事件がどういう結果になったのかがまったくわからないという事態が生じる。このような検察官による不透明な処理が、責任主義に対する一般市民の理解を得にくくしている理由のひとつであろう。
 この点は、精神障害者の立場から見ても非常に問題がある。
 日本国憲法三七条は、国民に裁判を受ける権利を保障しており、この権利は当然のことながら精神障害者にも認められる。
 精神障害者が犯罪を犯したとして捕まったとき、まずほんとうにその者が犯罪を犯したのかどうかが裁判の場で審理され、認定されるという手続きが保障され、そのうえで、かりに犯したとして、その行為の当時、責任能力があったか否かに争いがあれば、その点について正式な精神鑑定などを行って、最終的に裁判所が責任能力の有無を判定する。こうした手続きがきちんとふまれることは重要な意味をもつ。その結果、責任能力がないと判定されて無罪の判決を受け、検察官による知事への通報、知事による措置入院処分という流れをたどったとしても、当該精神障害者にとっては、犯罪を犯したことが裁判のなかで一応明確になっているから、措置入院などの精神医療の場において、犯罪を犯したことの自覚をもち、そのことの反省を通じて、今後の自己の生活のあり方を検討してゆく手がかりとなりうる。
 精神障害者の側から、(検察官による曖昧な不起訴処分ではなく、)正式な裁判を受ける権利を認めてほしいという声が上がっているのも、このような理由からであろう。
 このように、裁判所が犯罪を犯した精神障害者の責任能力の有無を判定する手続きをふむことによって、精神障害者の犯罪は何かうやむやのうちに処理されているという一般市民の不透明感はかなりの程度、払拭されるとともに、精神障害者の裁判を受ける権利も保障されるのである。加えて、このような正式裁判における厳格な審理によってその精神障害者が責任無能力と判定されたという事実があれば、責任能力がなければ刑罰を科すことはできず、あとは医療の領域の問題であるという結論に対する一般市民の理解にもつながっていくと思われる。

精神医療の実態―その抜本的改善の必要性
 裁判によって責任能力がないから無罪との判決を受け、あるいは検察官の起訴前鑑定などにより不起訴処分を受けた精神障害者は、前述したとおり、検察官から知事に通報され、知事による措置入院処分を受けて、精神病院に入院させられる。
 この措置入院について、「早く退院させすぎる」「病院はやっかいな患者ほど、治っていないのに退院させる傾向がある」「犯罪を犯した精神障害者は、民間病院ではとても引き受けられない」「精神障害者はまた犯罪を犯しやすい(再犯、再々犯)から、危険だ」などとして、犯罪を犯した精神障害者を保安処分施設や特殊精神病院に隔離収容すべきであるという意見が主張されている。
 しかし、措置入院もそれ以外の入院形態も、いずれも患者の病気を治療し、症状の改善をはかることを目的とするものである。
 措置入院患者であれ、他の患者であれ、治療の基本はなんら変わらないはずである。もともと、患者を強制的に入院させて治療することは原則として許されず、そのことは精神科医療においてもまったく同様である。ただ、例外的に、強制入院させなければ「自傷(自らを傷つける)他害(他人を傷つける)のおそれ」があるときに限って、強制入院のひとつである措置入院が認められているにすぎない。
 したがって、措置入院患者であっても、症状が落ち着き、「自傷他害のおそれ」がなくなったと指定医が判断したときは、強制入院を続ける根拠がなくなったのであるから、当該患者を退院させるか、他の入院形態に切り替えるかしなければならない。
 「早く退院させすぎる」という批判は、その精神障害者が犯した犯罪の重さに比べてという意味であれば、措置入院を刑罰の一種のようにとらえる考え方であり、前述した責任主義刑法の理念に反する。すでに、司法の領域では無罪(不起訴)の結論が出された以上、あとは医療の領域の問題である。
 医療は、前述したとおり、患者の症状を改善することを目的としているのであって、犯罪の防止を目的とするものではない。
 あくまでも、治療・看護・ケースワークによって、患者の症状の改善に努めるとともに、退院後の生活の安定を確保するため、家族や地域との調整をはかり、社会復帰へとつなげていくことが医療の果たすべき役割である。それが結果として、(医療がなければ)不幸にして犯罪行為に及んでいたかもしれない事態を防ぐことになるという関係である。
 むしろ、措置入院をふくむ精神医療が、これらの本来精神医療が担うべき役割を十分果たせているのか、もし果たせていないとすれば、何を改善しなければならないのかが問われなければならない。
 そして、実は、ここにこそ日本の精神医療の最大の問題がある。
 精神医療においては、人手こそ最良の治療の手段(道具)といわれている。精神科医は、患者の話をじっくり聞き、その悩みを受けとめ、治療の方針を検討していかねばならない。看護婦(士)やケースワーカーも同様である。
 にもかかわらず、精神病院の医師の数は、一般病院に比べて三分の一でよいとされ、看護婦(士)の数も一般病院の三分の二でよいとされている。悪名高い医療法の精神科特例である。昨年(二〇〇〇年)十一月の医療法の改正においても、抜本的改善はほとんど行われず、むしろ、この精神科特例を固定化しようとする動きさえある。
 精神病院では、一般科病院より医師、看護婦(士)の人数は多くてもよいぐらいである。一般科の三分の一の医師、三分の二の看護婦(士)でいったいどのような医療を行えというのであろうか。
 少人数の医師、看護婦(士)が多数の患者を看なければならないとき、まず出てくるのは、治療・看護ではなく、管理するという発想である。精神病院では、患者自らの自由意思にもとづく入院(任意入院)であるにもかかわらず、任意入院患者の約五〇%が鍵のかかる閉鎖病棟に入れられているという現実は、このことを端的に示している。
 このような現実のなかでは、訴えの多い患者や、なかなか看護婦(士)のいうことを聞いてくれない、あるいは暴力的傾向のある患者は「やっかい者」扱いされ、それが措置入院患者であっても、退院させてしまうケースがあると聞いている。
 しかし、それは、現行の措置入院制度自体がもっている問題ではなく、手厚い医療を行うために必要な医師、看護者を配置することが可能となるような体制を保障していない精神医療行政そのものに問題がある。
 現在、犯罪を犯した精神障害者に対する措置入院などの治療の問題が種々指摘されているが、それは、このような劣悪な精神医療の実態が改善されれば大部分は解決される問題である。
 犯罪を犯した精神障害者の収容を目的として保安処分施設や特殊精神病院を設置し、そこへの入通院(所)の判断は司法関係者が加わる合議体が行うというシステムを政府は検討している。しかし、それは、犯罪を犯した精神障害者に対して、重警備の施設などにおける濃厚な治療と称する監視体制をとり、いつ出られるかわからない(司法関係者は、医療的には退院可能であっても、なかなか退院を許可しないであろう)という不安のなかに当該精神障害者を置くという非人道的な処遇を行うことを意味する。
 このような施設およびシステムの導入は、問題の解決にまったく役立たないうえに、右に指摘した新たな非人道的処遇をつくりだすものであるから許されない。しかも、前述した精神医療の劣悪な実態から世間の目をそらせ、精神障害者への偏見を強め、精神障害者もそうでない人も地域で共に生きる途を閉ざすものであり、決定的に誤っている。
 いま必要なのは、精神科特例の廃止、往診などを可能にする診療報酬の見直しなど、安心してかかれる精神医療体制を確立するための精神医療の抜本的な改善である。


さとみ かずお


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