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精神科医療懇話会声明第4弾
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「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」に反対する
2002年4月3日
精神科医療懇話会
目次
はじめに
II.逐条批判
II‐1)「再び対象行為を行うおそれの有無」について
II‐2)事実審理における問題
II‐3)医療的判断に裁判官が参加する問題
II‐4)指定医療機関の問題
II‐5)地域処遇における適切な人材確保の問題
II‐6)医療機関における治療と処遇の問題
II‐7)被害者救済問題との混同
II‐8)解決すべき「入り口問題」を無視している
III.法案に至る経過の再整理と今後に向けての検討
III‐1)法案に至る経過と新たな論点
III‐2)刑事局案との相違
III‐3)法案は何をもたらすのか?
III‐4)今後に向けて
精神科医療懇話会
連絡先:京大病院精神科 高木 俊介・吉岡 隆一
E-mail:shun-t@mbox.kyoto-inet.or.jp
<共同提案者>
磯村大(堀ノ内病院)大下顕(京都博愛会病院)岡潔(旭労災病院精神神経科)
太田順一郎(岡山大学精神科)岡崎伸郎(仙台市精神保健福祉総合センター)
瀬川義弘(関西青少年サナトリウム)高木俊介(京都大学精神科)
塚本千秋(岡山大学教育学部)中島直(多摩あおば病院)浜垣誠司(高木神経科医院)
望月清隆(積善会曽我病院)森俊夫(京都府立洛南病院)吉岡隆一(京都大学精神科)
はじめに
3月15日、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」が国会に上程された。昨年6月9日に起きた大阪池田小学校事件を契機として始まった立法化への動きは、この法案の提出によりその最終局面を迎えようとしている。わずか9ヶ月という異例のスピードでの法案上程を可能にしたのは、池田小学校事件が与えた衝撃の強さによるものであるが、この間に池田小学校事件の被告が起訴されたことにより、この事件と本法案は直接のつながりを失っている。それにもかかわらず、法案作成作業のみが一人歩きを続けてきたのである。このことは、法案が精神障害者一般に対する危険視という偏見を背景にしていることを物語っている。
私たち精神科医療懇話会は、こうした動きに危機感を覚え、昨年6月27日、7月20日、及び9月18日の三度にわたり声明を出し、司法と精神科医療がそれぞれに抱えている問題こそがまず解決されなければならないということを主張してきた。しかし、最終的に上程された法案は、医学的に不可能なはずの再犯予測を判断基準として、不定期に拘禁することを可能とする、考え得る限りの最悪の内容であった。この法案は、立法に最低限必要とされる公正さや法的正義さえ欠いている。
懇話会声明でも触れてきたように、司法と精神科医療の双方が改善すべき点は多い。問題の解決はその延長上にしかないはずである。私たちは医療従事者としての職業的責務と倫理において、この法案に反対する。法案をいったん白紙に戻し、丁寧な議論を積み重ねていく以外に選択肢はない。
この声明は次のように構成されている。最初に法案の全体像を概観する。次に、いくつかの主要な論点を抽出し、それに沿って逐条批判を行うことでこの法案の問題を明らかにする。最後に、法案に至る経過を再整理しながら今後について若干の検討を加える。
I 法案の全体像に対する批判的概観
法案は、全6章と附則から構成されている。主要な部分は第1章総則、第2章審判、第3章医療、第4章地域社会における処遇の4章であり、それに第5章雑則、第6章罰則、及び附則が加わる。
★法案の目的は「再犯予防」である
第1章総則には、「同様の行為の再発の防止を図ること」と「社会復帰を促進すること」という2つの目的と、「対象行為」「対象者」「指定医療機関(指定入院医療機関と指定通院医療機関)」「精神保健審判員」「精神保健判定医」「合議制」「精神保健参与員」「精神保健観察官」などの新しい言葉・機能の定義と説明が記されている。
法の対象は、未遂を含む殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつ、傷害に該当する対象行為を行い、心神喪失又は心神耗弱を理由に不起訴となった者及びそれを理由に裁判で実刑判決を受けなかった者等と定義されている。
法律上、この「同様の行為の再発」を「再犯」と呼ぶことは適切ではないにしても、その趣旨としては「犯罪にあたる行為の再発」である。したがって、この法律の目的は、「再犯の防止」であるということができる。(以下、この声明では、法文上の「同様の行為の再発」を「再犯」とする。)
この法案は、「再犯防止」という法の目的に添ってその後の流れを決定しているものであるが、以下、第2章から第4章までをその流れに沿って概観する。
2)法案第2章 審判 〜検察官による申し立てから審判段階における問題
★検察官の不起訴による現状の問題点は何ら解決されない
★★「再犯のおそれ」を判断基準とした審判は不可能を要求している
対象者と認定するのは検察官であり、検察官が地方裁判所に申し立てを行うことによって、手続きが開始される。この点については、私たち懇話会を含む多くの論者が、(1) 対象行為の存否の認定があいまいであること、(2) 心神喪失・心神耗弱の判断が恣意的であるという、起訴便宜主義に起因する問題点を繰り返し指摘してきたが、この点の改革については一顧だにされていない。
検察官による申し立てを受けた地方裁判所は、1人の裁判官と1人の精神科医(精神保健審判員)との合議体でこの事件を扱う。例外を除けば裁判官の命令による鑑定入院(2ヶ月、3ヶ月まで延長可)を経て、「入院命令」「通院命令」「この法律による医療を行わない」という3つの判断のうちから最終決定がなされる。そのための判断基準は「将来にわたる再犯のおそれ」の有無とされ、再入院も含めて再犯予測はこの制度の骨格部分を占めている。
したがって、この制度の是非を論じるためには最低限「再犯予測が可能であること」が前提となる。しかし、再犯予測が不可能であることは、既に多くの論者によって主張されてきた。さらに、再犯予測が可能であるとする根拠は全く提出されていない。できないことを要請される合議体にとって、「再犯のおそれはない」と判断することは論理上不可能となる。審判とはいうものの結論は最初から決定されており、3つの最終決定のうち入院命令が圧倒的多数を占めるであろうことは想像に難くない。
もう一つの問題は、入院命令をはじめとする処分の終了も「再犯のおそれの消失」が判断基準となることである。この判断もまた不可能であるから、上限が設定されていない入院命令は、事実上不定期の拘禁として機能することになる。
★「再犯のおそれ」により拘禁することは医療を逸脱した行為である
医療は、鑑定命令入院、入院命令、通院命令の3つの領域でこの法案に関与する。厚生労働大臣の指定を受けた指定入院医療機関及び指定通院医療機関が、入院命令及び通院命令の受け皿となる。指定通院医療機関は診療所も含め対象は広いが、指定入院医療機関は国公立及び独立特定行政法人に限定される。鑑定入院命令の受け皿は特に規定が設けられていないので、国公立に限定されず全ての精神科医療機関が対象となりうる。
指定医療機関の精神科医には、入院・通院を問わず、常に「再犯のおそれ」に関する判断と責任が求められる。入院の場合には「再犯のおそれが消失した」と判断しない限り、6ヶ月ごとに地方裁判所に入院継続の確認を求める申し立てが課せられ、それは当事者が死を迎えるまで反復される可能性がある。通院命令は3年間であるが、やはり「再犯のおそれが消失した」と判断しない限り保護観察所の長に通知義務があり、結果として2年を越えない範囲で通院命令は延長されることになる。また、入院治療に切り替えなければ「再び対象行為を行うおそれがある」と認めたときには保護観察所の長への通知義務が課されている。
「再犯のおそれ」を判断することも「再犯のおそれの消失」を判断することも不可能であることは既に述べた。入院命令の延長、通院命令の延長、通院命令から入院命令への切り替えといった「拘禁の連鎖」が生じることは必至であるとみなさなければならない。それは、明らかに医療の本来の役割を逸脱している。
★地域処遇の本質は再犯防止のための監視である
検察官による地方裁判所への申し立ての結果通院命令がなされた場合、入院命令が終了し退院が決定すると同時にその後に引き続く通院命令がなされた場合、つまり通院命令による強制的外来治療について記述されているのがこの章である。
通院命令は通常3年、最長5年を拘束し、その間いつでも入院命令に切り替えられる可能性があることについては前項で触れた。管轄するのは本来医療とは関係のない保護観察所であり、そこで作成される「実施計画」に基づいて医療、精神保健観察、援助がなされる。精神保健観察とは、保護観察所に新しく置かれることになる精神保健観察官によってなされるものであり、該当者は通院命令の期間を通してこの精神保健観察に付される。
この命令を受けている者は、実施計画に基づく指定医療機関での通院治療、保護観察所への居住地の届け出、一定の住居に居住すること等の義務が課される。この章の表題である「地域社会における処遇」という問題には、そもそも「援助」と「監視」という2つの要素が含まれるはずだが、援助については精神保健福祉法を越える内容は何もなく、「再犯のおそれ」に基づく監視のみが突出している。仮に、この法案の目的の一つである対象者の社会復帰が真剣に検討されたのであれば、援助にこそ重点が置かれなければならないし、刑事政策を担当する保護観察所を中心に据える発想が生まれるはずもない。この法の目的には再犯防止と社会復帰の2つの目的があげられているが、社会復帰は露骨さを消すための隠れ蓑に過ぎず、純粋に再犯防止を目的とした法律と言えよう。
以上、法案の構成に沿って全体像を概観した。法案を要約すれば、事実認定さえなされずに不確かな心神喪失・心神耗弱判断に基づいて申し立てがなされ、不可能な再犯予測を判断基準とすることにより、結果として不定期の拘禁を可能とする法律である。
以下に、主要な論点に沿って法案の逐条的批判を行うことで、問題点を明らかにする。
★再犯予測は不可能である
★★誤った予測による不当な拘束が行われる
第一条、この法の「目的」は、「これに伴う同様の行為の再発の防止」であると明記されている。この目的に沿って法案では、「再び対象行為を行うおそれの有無」についての鑑定を精神科医に対して求めている(第三十七条)。つまりこの法案には、精神科医に「再犯予測」の役割を担わせるものである。しかし、私たち懇話会もこれまでの声明で再三述べてきたように、再犯予測は不可能である。そればかりではなく、もしもこの不可能であるはずの再犯予測を強行したとすれば、多くの偽陽性(false positive)判定を受ける人が生じること、すなわち「本当は再犯の可能性がないのに誤って再犯のおそれがあると予測されてしまう人が必ず生まれる」ということにも警鐘を鳴らしておかなくてはならない。
例えば、1000人に1人の人が対象行為となる犯罪を犯すとして、それを95%の正確さで予想できる方法があったとする単純なモデルで考えても、人口10万人のうち5000人以上の人を隔離することになり、そのうちの98%もの人が偽陽性者として誤って隔離されてしまうことになるのである。(計算の実際は付録1を参照のこと)
一般人に対してこのようなことを行うことはとうてい許されない。精神障害者だから許容されるのだとすれば、それは差別である。これが「治療」の名のもとで行われるとすれば、それは精神科治療への冒涜である。
現行の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)の29条に規定された措置入院は、「自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれ」(自傷他害のおそれ)に基づいての都道府県知事による強制入院(措置入院)を定めている。この「自傷他害のおそれ」の判断ができるのであるから、再犯の予測も可能であり、実際にも精神科医がこの判断を行っているではないかという反論がある。しかし、自傷他害のおそれの判断は、現在及びごく直近の将来についてのものであり、しかも病状に基づいて行われる行為に限定される。月単位や場合によっては年単位の見込みを必要としている「再犯予測」とは、本来異なるものである。しかも、「再犯」にあたる行為が、必ずしも狭義の病状に基づくものであるとは限らないのである。
今回の法案には、1970年代から80年代にかけて議論された保安処分と数々の類似点がある。時の行政・与党等の強い要請がありながらも保安処分が実現に至らなかった最大の理由は、この再犯予測の問題であった。今回法務省や厚生労働省、及びその周辺にいる人々が、この法案を推し進めるのであれば、再犯予測が可能になったという証拠を提示しなければならないだろう。しかしそのようなデータは一切出されていない。
このような鑑定が現実的に行われるようになった場合は、どのような精神科医がこれを行うであろうか。今日でも精神鑑定を行う医師は限られている。このような鑑定を引き受けるのは、「再犯のおそれは鑑定できる」とする一部の「精神医学者」ばかりになるであろう。また第六条に定める「精神保健審判員」「精神保健判定医」についても、「再犯のおそれ」の予測困難性を熟知し、家族等周囲の要請に真摯に応えながら患者の福利を目指す臨床家であるならば、安易に引き受けることをためらうのは当然である。その結果、これもまた社会治安を優先する一部の「精神医学者」に集中してしまう可能性がある。
第四十九条以下の退院の規定には、さらに問題がある。法案では、「入院を継続して医療を行わなくても心神喪失又は心神耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれがあると認めることができなくなった場合」(第四十九条)と、その解除についてかなり厳しい規定を設けている。三十七条に基づいて鑑定を行う精神科医は、対象者が精神病の急性期であり、病状に基づく対象行為があれば、入院とすることにそれほど大きな矛盾は感じないであろう。現行の措置入院の要否判定とほぼ同様だからである。しかし、措置入院であれば急性期が過ぎ病状が軽快すれば措置解除とすることができるのに対し、本法案に基づく入院制度はこれと異なる。急性期が過ぎ、既に入院医療を要する状態は脱していても、また病状が再燃し、それが同様の対象行為をもたらす可能性が少しでもあれば、退院させることができないのである。まさに「入るは易く、出るは難し」という制度なのである。
★対象者と対象行為に関する事実審理が不充分となる
★★対象者の弁護権が保証されていない
第二条第2項において、放火、強制わいせつ、強姦、殺人、強盗等及びその未遂と、傷害にあたる行為という形で、この法案における「対象行為」が規定されている。「未遂」が含まれ、また傷害に含まれる対象行為の広さから、非常に広範囲の対象を含むことになる。
同条第3項においては、「対象者」が規定されている。その2は心神喪失による無罪等の判決を受けた者も含むことを規定しているものであるが、現状ではその数は非常に少ない。そのためより重要なのは一、すなわち心神喪失ないし心神耗弱によって不起訴とされるもの、すなわち「公訴を提起しない処分において、対象行為を行ったこと…が認められた者」となる。第二十四条の2を見ると、不起訴処分をされた者が対象行為を行ったこと及び心神喪失者等であることの判断は、合議体の裁判官が行うこととされている。しかし、事実の判断は、本来、裁判において、検察官及び弁護人立ち会いのもと、厳格な手続きで採用された証拠を入念に調べることを経て行われるものである。そして、それにもかかわらず精神障害者にはえん罪がかけられる可能性が高いことは、無実の元死刑囚赤堀政夫さんの例に代表されるとおりである。やってもいない行為を「自傷他害のおそれ」の根拠とされ措置入院とされる例も指摘されている。その現行の手続きすら省略した審理で、人身の拘束を決定するなら、今まで以上にえん罪を増やしてしまう可能性が高い。
付添人として弁護士をつけることができることは規定されている(第三十条)が、第二十五条の2において「資料を提出することができる」とされているほか、弁護権は保障されていない。弁護士には証拠の閲覧も制限され、謄写は裁判所の許可がある場合という例外を除いては原則として行えない(第三十二条、第三十二条の2)。これに対し、刑事訴訟法では、第四十条等で閲覧及び謄写の権利が明記されている。保護観察所長は簡単に鑑定書等の資料の提供を求めることができる(第二十三条)ことから考えると、これはプライバシー保護を目的とした制限とは考えられない。事実関係について争う可能性があるほか、高度な精神医学的内容も含む精神鑑定の検討等を、謄写なしで、いかに行い得るだろうか。弁護権は保障されていないのである。
付添人がない場合も、弁護人をつけることが裁判所の義務とされているわけではなく、「付添人を付することができる。」(第三十条の3)との規定にとどまっている。検察官から本法案に基づく入院や通院の決定を求める申請がなされたら、そのときには付添人をつけなければならないとの規定になっている(第三十五条)ので、刑事訴訟法で被疑者の段階では弁護人は不要で、被告人の段階で必要とする規定に類似している。つまり、鑑定入院(第三十四条)の段階では付添人がついていない可能性が高いことになる。しかし、そもそも被疑者の段階から弁護人が必要であることは以前から主張されており、それがなされていないことがえん罪の温床になっているのである。近年は弁護士会の努力でそれがカバーされているが、必ずしも充分ではない。まして、本法案の対象者の場合、捜査段階での自己弁護能力が不十分である可能性が高く、経済的にも恵まれていない者が多いと予測される。いったん検察官からの申請がなされれば、一気に入院の決定まで進む可能性が高いのであるから、申請前の弁護活動は重要である。
対象行為の存否についての審理を別に扱うことを規定している第四十一条においても、事実審理が緻密に行われるという保障はない。弁護権の欠如は同様である。
審判が非公開とされている(第三十一条)ことは、対象者のプライバシーを保つことには役立つかもしれないが、暗闇の中の裁判がなされる可能性も危惧される。
本法案による入院には期限がないから、要するに、このままでは、やったかどうかわからない行為によって無期懲役に等しい拘束期間が科せられる可能性があるということになる。
★裁判官の参加は、医療をより拘束的にする
第十一条は、処遇事件を扱う地方裁判所の合議体が、裁判官と精神保健審判員で構成されるとしている。強制入院・強制通院の決定や、その継続ないし終了は、仮にそうしたものを認めるという立場に立つとしても、医療的判断のはずである。これに、医学的には素人である裁判官が加わることの意味が明らかにされていない。
本来医療判断であるべきものに裁判官を加えれば、対象となった人を解放して問題が起こったときに受ける批判に配慮して、より拘禁を継続させる方向に働くであろうことは想像に難くない。
精神科医には再犯の予測ができないが、裁判官には可能である、という趣旨かもしれないが、そうした主張の根拠は全く示されていない。逆に例えば、裁判官によって執行猶予判決を受けた人のうち、その10〜30%におよぶ人々は再犯を犯して執行猶予を取り消され刑に服するという事実があるのである。
そもそも本邦の裁判官は、起訴された事件の99.9%を有罪とし、勾留請求や令状などについてもほとんど検察官の主張を認めるのであり、主体的な判断を行うことが非常に少ないと言わざるを得ない。裁判官の関与を認めることが、形式的にはともかく、実質上、何らかの改善をもたらすと考えるのは幻想でしかない。
第十四条で、評決は、「裁判官及び精神保健審判員の意見の一致したところによる。」とされているが、一致しなければどうなるかについても明確にされていない。
★現場の医療機関の意向を無視した指定
第十六条で、指定入院医療機関は、国公立病院に置かれることとなった(特定独立行政法人の規定は何を指すのか明らかでないが、平成16年度に独立行政法人に移行予定の国立病院・療養所を指すものか)。「開設者の同意」が必要とされているが、国公立病院の開設者は、院長などその施設の現場で働く者ではなく、国や県知事であり、現場の意向は無視されている。国立精神療養所院長協議会、全国自治体病院協議会は、精神科七者懇談会の一団体として、あるいは独自に、法案に反対の意思を明らかにしているが、これにもかかわらず強行されるおそれがあるのである。
★医療として適切な人的資源が確保されていない
保護観察所はもちろん精神科医療の枠内に存在するものではないし、精神障害者が地域で生活する際のサポートのノウハウを持っているわけでもない。人員も充分とは言えない。通院制度をフォローする主体となるには不適格なのである。不充分なフォロー体制しか整えないままで制度を強行すれば、当然、審判は入院の決定が多くなるであろうし、入院を終了させ通院医療に切り替えることにも慎重にならざるを得なくなり、長期に拘禁されることとなる。
精神保健福祉士等から指定される精神保健参与員(第十五条)、保護観察所に置かれる精神保健監察官(第二十条)も、どのように確保するのか明確でない。
★対象者に対する特別な治療は存在しない
★★治療中の人権保障が不十分であり、医療の密室性が温存される
「指定医療機関」という規定はあるが、そこでどのような医療が行われるのかが明確にされていない。第八十一条の2の規定は「診察」「薬剤又は治療材料の支給」「医学的処置及びその他の治療」などとされているが、一般的かつ包括的なものに過ぎない。一般の医療であれば、一般の病院で行えばいいことである。一般の病院では人員が不充分であることはあろうが、これは精神科の病院は他の科の病院よりも人手は少なくてよいとするいわゆる「精神科特例」の温存を始めとして、精神科医療の人員整備を怠ってきた厚生省(現厚生労働省)の責任である。
もし特別な医療を行うのであれば、その内容を明らかにしなければならない。一般に、専門的な医療というのはあり得るが、それは診断名や年齢層、疾患の特徴などで規定されるものであり、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者」全体にあてはまる特別な治療法などというものは存在しない。
治療中の人権保障についても明確でない。通信・面会の自由保障は精神保健福祉法と類似した規定が記されている(第九十二条)。しかし、処遇改善請求にあたる規定(第九十六条)では社会保障審議会がその任にあたることになっているが、どの程度迅速な審査が行えるか明らかでない。退院請求は一度却下されると3ヶ月は行えない(第五十条の2)。これについて合理的な根拠は示されていない。
本邦の精神病院が過度に閉鎖的であることは言うまでもないが、矯正施設の閉鎖性はそれに輪をかけている。生命に関わるような重大な事件や問題が、内部告発によって初めて明るみに出ることも珍しくない。処遇に矯正施設のノウハウを持ち込むことが予想されるこの医療機関では、深刻な人権侵害が多発し、内部告発がなければそれが隠匿されるおそれが非常に大きい。
★被害者の救済とは、加害者の人権を制限することではない
今回の検討は、2001年6月の池田小学校児童殺傷事件を一つの契機として行われたものである。しかし、そもそもこの事件の被告人は、後の報道等では「精神障害を装った」などともされており、いわゆる触法精神障害者の議論の契機とするに適切な事例とは考えにくい。法案が提唱する制度が仮にできたとしても、それが適用される人ではない可能性が高い。仮に法案が提唱するような制度が以前からあったとしても、この事件を防止し得たとは考えにくい。
マスメディアで騒がれるような、精神障害者が引き起こした重大な事件は、大多数が初犯である。法案が提唱する制度は何か事件が起こって初めて発動されるものであり、初犯には全く効果がない。
第四十七条の被害者等の傍聴の規定もその根拠が不可解である。そもそもこの法案は、責任能力がなく応報刑には馴染まない対象者に対して規定するもののはずだが、非公開である(これに問題があることは前述した)はずの審理に被害者等の傍聴を認める根拠は、応報感情以外にはあり得ない。被害者救済は本来別問題のはずである。
したがって、この法案は、厚生労働省と法務省が合同研究会を開きはじめたところであったように、ようやく議論が端緒につきはじめていた問題に対して、拙速な解答を行っただけであり、将来に禍根を残すものとなるであろう。
II‐8)解決すべき「入り口問題」を無視している
★安易な起訴前簡易鑑定などの本質的な問題は解決されていない
多くの論者から、検察官による安易な不起訴によって引き起こされる問題、いわゆる「入り口問題」によって精神科医療の守備範囲が不当に広げられていることが、現在の本邦の司法と精神科医療の現状が持つ最大の問題点であることが指摘されており、私たちも再三このことについて批判してきた。しかるに、この法案はこれには一切手をつけていないのである。
第三十三条の3において、限定付きながらも、検察官の裁量を認めている。対象行為を行ったと認められない場合、心神喪失者及び心神耗弱者のいずれでもないと認める場合については申し立ての却下(第四十条)を、検察官が心神喪失者として申し立てを行ってきた対象者について心神耗弱者と認めた場合にはその旨の決定と告知(第四十条の2)が規定されているが、検察官の言い分に反する判断等をほとんどすることのない本邦の裁判官が、この規定を活用して「入り口問題」の解決に寄与するとはとうてい考えられない。むしろ、医療適応性の判断が不明確となり、薬物依存や人格障害とされる人など、本来精神科の非自発的医療には馴染まない人々が、ますますこの制度に投げ込まれるおそれが非常に高い。
第三十七条に基づく鑑定は責任能力の有無がその課題となっていないから、この鑑定が「入り口問題」の解決の助けになることは保障されていない。また、送検すらされず、警察官の段階で処理され24条通報などの形で精神科医療に送られる人々の中に、実は刑事手続きの中で扱われるべき人が多数存在することも指摘されているが、それについても何ら有効性を持たない。
さらに、私たちが従来指摘してきたように、刑務所等の矯正施設内での医療の改善も緊急の課題であるが、これにも一切言及されていない。
III 法案に至る経過の再整理と今後に向けての検討
III‐1)法案に至る経過と新たな論点
この問題には前史がある。一つは70年代から80年代にかけて論争が繰り広げられた刑法改正-保安処分新設問題であり、もう一つは精神保健法成立を契機とした90年代前半の処遇困難者病棟問題である。前者は法務省、後者は厚生省(現在の厚生労働省)が推進しようとした動きであったが、ともに失敗に終わったことで、この後の両省の動きを規制する経験となった。
今回の流れは、法務省と厚生労働省の合同検討会をスタートさせた'99年法改正(精神保健福祉法)付帯決議を直接の起点としている。これまでの論点にはなかった新たな要因として、90年代中旬以降の精神科医療機関の機能分化、国公立と民間病院の役割分担論、犯罪被害者及び遺族の問題、医療訴訟をめぐる動向の変化、責任能力論への関心の高まり等が加わった。また、24時間の行政救急を担う基幹病院の出現と経験は、トリアージュ機能の強調と共に、精神科医療の守備範囲を明確にしようとする機運を生み出した。その焦点は、疾患としては人格障害と薬物依存、「入り口」としては24条通報と25条通報であり、必然的に杜撰な簡易鑑定と起訴便宜主義への批判を含むものであった。こうした状況にあって、司法と精神科医療が抱える問題をはじめて包括的に提示したのが2001年5月に開かれた日本精神神経学会総会シンポジウムであった。今後の議論の枠組みを示し新しい地平を切り開いたという意味において、時代を画するものであったといえよう。私たち精神科医療懇話会のこの間の声明作成作業も、このシンポジウムに大きく依拠している。
法務省と厚生労働省の合同検討会は、前史における失敗の経験から相互に責任の押し付け合いに終始していた。このことは、状況の変化に対応した新しい提起を行いうる準備も意思も、双方に欠けていたことを物語っている。しかし、大阪池田小事件が事態を一変させることになる。政府の対応は素早く、与党3党プロジェクトチーム、自民党プロジェクトチームが独自に作業を進、最終的には昨年11月に与党3党案、自民党案、公明党案を折衷する形で与党案としてまとめられた。
与党案の骨子は、「重大な犯罪を起こした精神障害者を検察官からの申し立てによって、裁判官の関与する判定機関の審判に付しその決定を受けて、精神障害者の処遇(すなわち入院、保護観察下の通院)を国公立病院内の専門治療施設に委ね、そこからの退院や強制通院の終了は、判定機関が決定する」といったものであり、現在の法案を直接的に準備する内容となっていた。法案を提起するに足る蓄積がないところで、精神障害者の犯罪にのみ焦点をあてた立法化を至上命題とする姿勢からは、当然予測されうる結論であった。
ただしこの時点では、不起訴数の多さをあげて検察庁における安易な不起訴処分乱用の疑念にも触れている(自民党案)ことや、精神科医療の貧困さや退院後の援助の希薄さにも言及していることなど、司法と医療双方の現状の問題点を認識し、それを改善するための契機を含んだ内容であったと見ることもできる。
ところが本年2月に公表された「法案骨子」からは、そのような現状改革的な視点は全く抜け落ちていた。「骨子」は、与党案があいまいにしてきた法の目的と判定機関における判断基準を、それぞれ「再犯防止」と「再犯のおそれ」と明言し、保安処分としての性格を強く前面に押し出した内容であった。法案国会提出のわずか1ヶ月前のことである。国会における絶対多数を背景に、国民に議論する時間を与えない政治的暴挙については、厳しく指弾されなければならない。国会論議では、与党案作成者たちが「再犯防止」と「再犯のおそれ」を意図していたか否かが明らかにされる必要がある。最初から意図していたのであれば与党は国民を騙したことになり、意図していなかったのであれば、新たにその意図を忍び込まされている今回の法案が批判されるべきである。
政府_与党は、議論の水準を大きく後退させ、新しい論点の多くを捨象することで司法と精神科医療の問題を改善する可能性を消し去ろうとしている。そしてその政治手法とともに、依然として政策提言型の運動が成功しづらいことも銘記しておく必要がある。
さて、法案は広範な反対運動によって頓挫したかつての刑事局案に酷似する以上、その刑事局案との相違について触れておく必要がある。
III‐2)刑事局案との相違
法案に見られる罪種の限定や処遇決定プロセスに関与する機関の構成などの形式は、保安処分特に刑事局案と類似している。刑事局案とは、法務省が提示してきた保安処分制度新設を含む刑法改正案に精神医学会や弁護士の反対が強かったため、それへの対応として法務省刑事局から'81年12月に出されたものであるが、依然として保安処分の一環としての性格を明確にしており、その目的が再犯予防であり、根拠を再犯予測可能性に置き、手続き的に刑事裁判が保安処分を言い渡すことを主眼とし(検察官が独自の手続きで言い渡すことは従と考えられていた)、弁護士が必ず関与しなければならず、期間を限定する姿勢を見せ、責任能力鑑定が必須というしっかりした骨格を持っていた。ところが今回の法案は、検察官を主導的地位に置き、事実認定及び防御権の保障が充分ではないこと、上限が設定されていないことで不定期の拘禁を可能にすること、予防拘禁を医療機関に担わせること等において、法的に適正な手続きを欠くものである。その点で、刑事局案以下の代物と言えるだろう。
刑事局案以下のレベルに議論を後退させた政府の責任は極めて大きい。精神科医療の当事者はこの法案を前にすれば刑法三九条廃止を主張するよりなく、池田小事件の被害者・遺族が求めるであろう厳密な責任能力判断と適正な法的手続きにも背を向けることになろう。III‐3)法案は何をもたらすのか?
このような法案が立法化されればどういうことになるだろうか。検察官の安易な不起訴は改められるどころかむしろ拡大される結果、医療を受けることが適切かどうか不明確な人を含む多様な人々が、この施設に送り込まれることになるであろう。治療の理念もない以上、ただの「厄介者払い」の施設として運用されることになる。医療の内容が明確にされておらず、充分な人員配置の保障もないところで、見通しのない拘禁が行われることになろう。暴行などの人権侵害が横行する可能性もある。送られる人々の不幸は言うまでもない。施設はすぐにいっぱいになり、制度は動かなくなるであろう。
触法行為を行った精神障害者への医療等に関する現行の運用に種々の問題があることは事実であるが、全ての例に問題があるわけではない。不幸にも触法行為により事例化したが、その後速やかに医療につながり、入院医療から社会復帰、通院医療へとのスムーズな流れにより、適切な医療と地域生活が保障される例も少なくないのである。
しかし、この法案が実現すれば、多くの例がこの制度に機械的に流し込まれることとなる。本格的な治療が開始される前に鑑定入院が2_3ヶ月行われ、疾病による苦痛が重い急性期への介入が不十分となる上、その後の治療入院との継続性は保障されていない。治療入院もその地域性は保障されておらず、むしろ自らの地域からは離れた医療機関で治療を受けさせられることになる可能性が高い。そして、通常の措置入院等であれば病状が軽快すれば退院できていたものが、本法案の第四十九条を厳格に守ると「対象行為を再び行うおそれ」が少しでも残されていると、なかなか退院できないことになる。ようやく退院となっても、指定医療機関への通院は、入院していた施設と同一とは限らず、地域性が保たれるかどうかもわからない。この制度は、これまで地道に積み上げられてきた臨床実践までも破壊してしまうものである。
ここでは、法手続きに基づいて何が起こりうるかということを考察したが、現実にはそれ以上に、実際の受け皿となって医療を担う機関がどのようになるかということが重大な関心事であろう。そのため、これまでに厚生労働省が折に触れて公表してきた数値から、法案施行後の医療機関と精神科医の動向をできる限りシミュレートしたものを、声明の末尾につけたので参照してほしい(付録2)。
III‐4)今後に向けて
この間の議論を総括して問題点をまとめるならば、結局「医療の権利と刑事手続きの機会の適切な調和」をいかに実現するか、に問題はまとめられる。再犯予測可能性がない現状からすれば、これ以外に問題の立て様はない。
法的観点から問題を整理すれば、刑罰の可能なものには刑罰を、刑罰の不可能なものにはその見極めを厳正に行う手続きを整備し、責任主義を維持することが原則になろう。
医学的観点からは、治療の必要性と可能性のあるものについては、その法的身分のいかに関わらず治療を提供するための機会を保障することが原則である。
法案の欠陥=現状の問題点を解決するためには、医学的判断を法的判断に独立、先行させ、明瞭に責任能力を欠くものを除いてはできるだけ厳格な責任能力等の法的判断を公開性の高い場で行い、もって起訴便宜主義を実質的に制約しつつ、治療必要性と可能性の高い緊急性を要する事例では刑事的手続きから医療処遇への身柄の転換を図り、刑事手続きが可能となった状態で法的判断の必要な場合なものは医療的処遇から刑事手続きへの身柄の逆送を制度的に保障するしかない。
私たち精神科医療懇話会は、声明の第一弾、第2弾において、そうした方向性の重要性について強調し、また第三弾において、現状の簡易鑑定の問題を是正しつつ、早期に医療につなげる道筋をも確保するため、精神保健鑑定をスクリーニング鑑定として活用するという具体案を提示してきた。こうした手続き保障の中に位置づけられない「専門治療施設」は全く意義を持たず、対象者の人権を無視して医療を荒廃させるものである。したがって、私たちは断固としてこれに反対するものである。
付録1:犯罪予測と偽陽性判定の問題
社会構成員の中で、1000人に1人が殺人を犯すとする。人口10万人でみれば、そのうち100人が「実は殺人を犯す人」で、残りの99,900人は「実は殺人を犯さない人」ということになる。仮に非常に正確なテストが開発され、95%の確率で殺人する人としない人を見分けることができたとする(これは人間の行動の予測としては考えられないぐらいの高率を想定していることになる)。人口10万人にこのテストを行うと、「実は殺人を犯す人」100人の95%にあたる95人がこのテストによって「殺人を犯す」とされ、「実は殺人を犯さない人」99,900人の5%にあたる4,995人が「殺人を犯す」とされることになる。「殺人を犯す」と認定された人を隔離するとすると、10万人のうち5,090人の人を隔離することとなるが、その何と98%以上にあたる人は実は隔離しなくても殺人を犯さないにもかかわらず隔離されることになるのである。海外のものも含め、再犯研究を検討すると、この偽陽性の事実は大きくのしかかってくる。
付録2:法施行後の医療機関と精神科医の動向をシミュレートする
厚生労働省は、年間の対象者数を300人程度と試算し、全国で20から30の病棟を、国立を中心に10年程度で整備し、病床数を800から900床、回転がよければ600床程度と予定しているようである。25条通報件数が年間1000件強、そのうち措置該当件数が500件強であるから、対象行為に限定すれば300人程度となり、さらに入院命令の発動はもう少し絞りこめると読んでいるのであろう。しかし、「供給が需要を喚起する」のは医療制度の常であり、いったん制度が動き始めれば従来24条通報で処理されていたものも含めこの制度に流し込まれてくるかもしれない。審判の対象者数を年間300件とする前提そのものがすぐに崩れる可能性が高い。
1)指定入院医療機関について
当面は、全国に約20ある国立療養所と精神科病棟を持つ国立病院の中から指定入院医療機関が選ばれることになるのだろう。都道府県知事が指定する措置病床とは異なり厚生労働大臣の指定となる指定入院医療機関の場合、自治体立病院が初動時から対象となる可能性は高くない。しかし、大阪のように背景人口が大きいにも関わらず受け皿となる国立医療機関を持たない自治体があることや、国立に設けた特別病棟がすぐに満床になった場合には、自治体立病院が指定入院医療機関となる可能性は高い。法案が国会を通過した場合、公布の日から2年以内に制度をスタートさせることが予定されているが、800床から900床を準備するという10年間の過渡的段階の受け皿については明確にされていない。
2)指定通院医療機関について
厚生労働省が期待する病床回転は、退院後の処遇を援助ではなく監視に純化させたことで法案自体がその可能性を奪うことになる。指定通院医療機関及びそこで働く精神科医は社会防衛的機能と再犯に関する責任を課されることになるが、この間の日本精神病院協会の主張を見る限り、民間病院が自ら進んで指定通院医療機関になることは考えにくい。診療所の精神科医の場合は尚更であろう。結局、指定通院医療機関は自らの意思とは別にそれを拒否することができない医療機関、つまり国立と自治体立に限定される可能性が高い。
自らの生活圏で治療を受ける権利の剥奪は、入院命令だけではなく通院命令においても起こりうる。通院命令は厚生労働大臣による医療機関の指定を伴うので、居住地から遠く離れた自治体立病院への通院が命じられ、通院のために転居するか、命令を遵守しないことによる再入院かの選択が迫られるかもしれない。通院命令の対象者は、身近に通院可能な精神科医療機関のなかった収容を中心とする30年以上前の状況に逆戻りさせられることになる。出口を閉じた法案によって、指定入院医療機関の必要病床数は時間の経過とともに膨れあがっていく宿命にあると言えよう。
3)精神保健判定医及び精神保健審判員
精神保健審判員については、一部の「精神医学者」と立場上拒否することが困難な国立に勤務する精神科医を除くと、自ら進んで希望する精神科医はいないであろう。しかし精神保健判定医については少し事情が異なるかもしれない。杜撰な鑑定により医療の対象ではない事例を医療化することの問題を指摘して司法精神鑑定センター構想を打ち出した全国自治体病院協議会は、積極的に鑑定命令入院の受け皿となる選択をするかもしれない。 その際、精神保健判定医として鑑定に関与するか、「精神保健判定医と同等以上の学識経験を有する」という規定に依拠して鑑定に関与するかは判断が分かれるかもしれない。その場合、従来の司法精神鑑定とこの法案が求める鑑定とは似て非なるものであることが重要な判断材料となろう。
そして、入院の際には医療の要否という医療モデルがあてはまやすいのに対し、退院の際の判断は医療モデルとは全く異なるものであることを、その医師が認識しているか否かが、入院の要否についての判断を分ける可能性がある。
4)精神保健参与員と精神保健観察官
精神保健参与員は「精神保健福祉士その他の精神障害者の保健及び福祉に関する専門的知識及び技術を有する者」と規定されるが、精神保健福祉士本来の業務からすると「再犯防止」を目的とするこの制度に関与することは考えにくい。自らの意思とは別に、保健所や精神保健福祉センターに勤務する精神保健福祉士が、業務命令に近い形で精神保健参与員を選択させられるのではないか。精神保健観察官に至っては、全法務省労組の見解にあるように人材を確保することは極めて困難であろう。
5)措置診察及び精神科医療全般に与える影響
25条通報を中心に措置診察に有形無形の影響があるかもしれない。検察官は対象行為に該当する場合には法案第33条1項に基づく申し立てを、対象行為に該当しない場合には精神保健福祉法25条に基づく通報を行うことになるが、2つの法の目的の違いを混同する事態は容易に起こりうる。いったん「再犯の防止」を精神科医療が引き受けた以上、25条に限らず24条警察官通報についても同様であろう。「自傷他害」の要件が「再犯のおそれ」に置き換えられ、従来以上に措置診察に携わる精神科医の上にプレッシャーとしてのしかかってくるだろう。
こうした変化は外来治療も含め精神科医療全ての場面に影響を与えうる。病院・診療所を問わず、外来通院中の患者が何か事件を起こしたとすれば、「そのおそれ」を予見し得なかった精神科医に非難が集中することになり、精神科医の態度を防衛的にするだろう。かつて精神科医療にこれだけの関心が集中したことはなかったのではないか。この1年は、医療的観点から精神科医療の守備範囲を明確にする絶好の機会でもあったはずである。その好機に、逆の選択、すなわち再犯防止という社会防衛の役割を自らの内に引き受けようとすることは、自らの首を絞める行為である。日本精神病院協会がこの問題を精神科医療の中にではなく外に投げ返す姿勢を堅持していれば、事態は違う展開を示し得た。
この法案が可決したとすれば、自らの利益と安全に拘泥するあまり精神科医療全体を誤った方向に誘導しようとした日本精神病院協会執行部と、専門性の確立と拡大に注目し細部の検討を怠った一部の司法精神医学者の責任は極めて大きい。
以上
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