精神保健福祉法の「改正」を検証する
「移送制度」の中味と問題点

(大阪精神医療人権センターニュース 2000年4月号、5月号 原稿)

弁護士   里見和夫  



一、はじめに


 本年(2000年)4月1日から昨年改正された精神保健福祉法(以下「新法」という。)が施行された。
 新法で初めて設けられた制度として「移送制度」がある。
 移送制度は、精神障害者をかかえる家族からの強い要望があったことなどから新しく設けられたと言われている。
 これまで、本人の症状が悪くても、本人が病院に行くことを拒否した場合、前号で指摘した貧困な精神医療の現状の中では、家族が説得し、あるいはある程度強制してでも本人を病院に連れて行かない限り、本人を医療に結びつけることは困難であった。そして、高齢の父母が嫌がっている本人を病院へ連れて行くのは実際問題としては不可能であることが多く、その結果、 本人に適切な医療を受けさせることができず、本人の症状が更に悪くなった、というケースがあったことは否定できない。
 要するに、このような場合に利用できる多様なシステムが未整備だった のである。
 このような家族の悩みにつけ込み、患者に対する虐待の限りを尽くした のが、あの大和川病院であった。
 大和川病院は、「365日、24時間、どこにでも迎えに行く」ことを謳い 文句に、医師の診察もないままガードマンらが患者を強制的に病院に連れてきて、劣悪な体制のもとで強制入院させるという違法行為を行い、莫大な 利益を上げていたのである。
 今回の移送制度は、症状が悪いのに治療を受けることを拒否している患者を治療に結びつけるためのものだと言われている。 
 確かに、患者が適切な医療と結びつくことができないとすれば、それは 本人にとっても家族にとっても不幸な出来事である。
 しかし、その問題を解決するのが移送制度かと言えば、“ノー”である。行政や医療側が本来先にやるべきことは山ほどある。それをやらずして、 まず「移送制度」を打ち出してきたところに、最大の問題点があると言わざるを得ない。


二、移送制度とは

 新法は、医療保護入院および応急入院のための移送制度を新設したが、 その要点は、
 1.指定医による診察の結果、
 2.精神障害者であること、
 3.直ちに入院させないと本人の医療および保護をはかるうえで著しい支障がある こと、
 4.本人が任意入院の判断をできる状態にないこと、をその指定医が 判定した場合で、
 5.本人の保護者(まだ選任されていないときは、扶養義務者)の同意があるときは― なお、急速を要し、保護者(扶養義務者)の 同意を得ることができないときは、それも必要ないものとされている― 、都道府県知事は、本人の同意がなくても、本人を自宅その他本人が居る場所から応急入院指定病院に(強制的に)搬送して医療保護入院または応急入院させることができる、というものである(新法34条)。
 要するに、知事は、1.〜5.の要件があれば、治療に結びつけるために、患者を強制的に自宅などから病院まで移送(搬送)できるという制度である。知事による強制処分であり、その意味で措置入院と同じ性質のものである。
 厚生省は、「精神障害者の移送に関する事務処理基準」や自治体の担当者に対する説明の中で、移送は、患者を治療に結びつけるための最後の手段であって、その前に、精神科救急情報センターの設置・整備、患者本人に関する事前調査、入院等の説得を先行させ、このような努力をしても本人が入院に同意しない場合に初めて移送の手続を使うことになると位置づけ、濫用を戒めている。
 しかし、実際には、精神科救急情報センターの設置の準備はほとんど進んでおらず、夜間・休日でも電話で相談する先がなく、医師の往診をはじめ 精神障害者が安心してかかれる医療体制の整備に向けた積極的な施策は手つかずの状態である。
 そして、一方では、厚生省の三觜課長は、新潟県の女性監禁事件を例に出し、「4月以降にこのような事件が起きて、もし行政が移送制度があるのにそれを活用していないということになれば、都道府県の責任、責務が生じる」と述べて、移送制度への取組みを強く促している。
 これらの事実に照らすと、行政が本来先に行うべき、精神障害者が安心してかかれる医療を実現するための施策は放っておいて、移送が安易に行われる危険性が十分あると言わねばならない。
 しかし、移送制度には、法的にも、運用面でも極めて大きな問題がある。


三、移送制度の問題点

1、知事の強制処分である移送と保護者・病院間の診療契約である医療保護入院とを無理矢理結びつけたことによる矛盾

 移送は、患者を医療保護入院させるために行われる強制処分である。
 一方、医療保護入院は、保護者が本人のために病院と診療(入院)契約をすることによって行われるものである。ところが、移送の場合、知事が患者を強制的に搬送して行く応急入院指定病院は、その患者の入院を拒むことはできないものとされている。即ち、その病院の医師は入院時点では独自に患者を診察して入院の要否を判断することはできず、仮に診察して医療保護入院の必要性はないと判断しても、一旦は必ず医療保護入院患者として受け入れなければならないのである。
 また、家族あるいは主治医が、患者の入院先を自宅から近い、あるいはこれまで受診したことがあり患者にとっても抵抗感が少ないと考えられる病院を入院先として希望しようとしても、そこが応急入院指定病院でなければ不可能であり、一方的に他の病院に入院させられてしまうことになる。
 今回の強制処分としての移送に始まる入院は、準措置入院と呼ぶべき ものであるのに、保護者制度の廃止を含む抜本的改革をしたくない厚生省が移送と医療保護入院を無理矢理結びつけたため、極めていびつな形に なってしまったのである。
 
2、移送に対する不服申立権の実質的不存在

 もし、必要性がないのに移送されたり、移送の途中で不当に拘束されたり、暴行を受けるなどした場合に、患者は不服申立ができるか。
 結論から言えば、実質的には不服申立は不可能である。
 確かに、指定医の診察の結果、患者を移送することになったとき、患者に対して、「移送に際してのお知らせ」という表題の書面(告知書面)を交付することになっており、そこには、「この移送に不服があるときは、この移送の日の翌日から起算して、60日以内に厚生大臣に対し、審査請求をすることができます。」と書かれている。
 しかし、この告知書面には、移送する理由や行動制限する理由は何も 書かれていない。患者がそれを調べ、審査請求書を作成して厚生大臣に 提出することは不可能である。
 そして、患者にとって少しは身近な不服申立手続である精神医療審査会制度は使えないのである。即ち、移送は、精神保健福祉法上の制度であるにもかかわらず、告知書面には、「この移送に不服があるときは、知事に申立をして、精神医療審査会の審査を受けることができます。」という 趣旨の文言は全く記載されていない。
 
3 、指定医の診察なしに、自治体職員の判断だけで、患者を自宅などから 指定医の居る場所まで強制的に移送することができる(措置診察の場合)とする厚生省の拡大解釈の危険性 ― 指定医による診察なしの強制移送


 移送とは、法律の条文上は、指定医2名の診察の結果措置入院が必要であるとの判断で一致した場合に、その診察の場所から措置入院先病院まで患者を搬送することとされている(新法第29条の2の2)。
 ところが、厚生省は、「精神障害者の移送に関する事務処理基準」の 中で、措置入院の場合の移送とは、自治体職員が指定医の診察および移送が必要と判断したときから始まると拡大解釈し、自治体職員の判断だけで 、患者を指定医の居るところまで強制的に移送することができるものとした。
 しかも、厚生省は、改正法案を国会に上程する直前の1999年3月8日に警察庁との間で、この拡大解釈を相互了解事項とする合意文書を交わしているのである。
 しかし、この拡大解釈は、1999年12月に山本孝史衆議院議員の質問趣意書に対する内閣の答弁書において、「移送は、指定医による診察が終了 した時点から始まる」という趣旨の答弁をしていることと矛盾している。それだけでなく、そもそも、身体の自由は、憲法で保障されているので
あるから、それを奪う強制移送が合法化されるためには、少くとも指定医による診察でその必要性が認められなければならなかったのであり、もし 、その指定医の診察もないのに、自治体職員の判断だけで指定医の居るところまで強制移送するのを認めることは、違法であることが明らかである。
 にもかかわらず、厚生省は、措置診察のための強制移送を当然のこと とし、むしろ、これの活用を考えているようである。
 即ち、厚生省は、措置診察のため強制移送し、措置診察の結果、措置 入院の必要はないが、医療保護入院または応急入院の必要はあると判断 された場合、患者をどう扱うかについて、そのまま医療保護入院等の移送手続に切替えて強制移送を行えばよいとしている。
 そうすると、「指定医の診察なしの強制移送は、措置診察の場合だけ」と言ってはいるものの、措置か医療保護かはっきりしない場合でも、自治体職員が(警察官の援助を受けて)患者をまず自宅かまで強制移送し、指定医の診察を受けさせ、措置は非該当だが、医療保護該当の場合は応急入院指定病院へ移送し、医療保護も非該当であれば患者を解放という手順が取られるおそれがあり、これらに対する厳しい監視が必要である。
 
4、移送が濫用される危険性

 仙台高等裁判所は、2000年1月20日、息子が第三者を殺害したことで 保護者として責任を問われた父親に対し、遺族に1億円の損害賠償を支払うよう命じた一審判決を正当であるとして、父親の控訴を棄却する判決を言渡した。
 父親側は、今回の法改正により自傷他害防止義務が保護者の義務から 削除されたことを考慮して欲しいと主張したが、仙台高裁は、自傷他害 防止義務は削除されたものの、治療を受けさせる義務は残っており、息子に適切な治療を受けさせなかった結果、症状が悪化して事件を起こしたのだから、民法第714条により責任無能力者の監督者である父親には損害 賠償義務があるとした。
 この仙台高裁の考え方では、自傷他害防止義務を削除した意味がほとんどないことになる。
※ 家族に過大な保護義務を課さないためには、精神保健福祉法の保護義務の一部削除だけではだめで、民法第714条などの改正、ひいては
保護者制度の廃止が必要である。
そうすると、家族としては、治療を受けさせる義務を尽くしたことを 示すため、治療とうまく結びついていない患者を無理にでも入院させる 方向に傾くであろう。その場合、移送制度がまっ先に利用されることに なる。
 ことは家族だけにとどまらない。新潟の女性監禁事件の際、マスコミは 、何故これほど長期間にわたって犯人を放置していたのかと、保健所や警察を非難した。
 前述したとおり、厚生省担当課長は、「2000年4月以降にこのような 事件(新潟女性監禁事件)が起きて、もし行政が移送制度があるのにそれを活用していないということになれば、都道府県の責任、責務が生じる」と述べて、都道府県に対し移送制度の積極的活用を強く促している。
 これら一連の動きは、患者が安心してかかれる医療を実現するために 行われるべき本来の施策は放ったらかしにしたまま、自己の責任回避の ために、移送制度を安易に利用する風潮を助長しかねない危険性をはらんでいる。
 このような患者不在の移送制度の濫用を許してはならない。



以 上



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