「大阪児童殺傷事件に関連して、重大な犯罪を犯した精神障害者対策に関する見解」

要約と

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平成13年6月24日

大阪児童殺傷事件に関連して、重大な犯罪を犯した精神障害者対策に関する見解(要約)

(社)日本精神神経学会
精神医療と法に関する委員会
委員長 富田 三樹生

 小泉首相は、精神障害者で重大な犯罪を犯した者に対する施策に関して、保安処分も含めて検討すると言明し、従来の議論を乗り越える意志を表明した。また、新聞報道等によれば、特別立法により、特定病院を作り、刑事と精神科医療のはざまの精神障害者を収容する方向で法務省、厚生労働省が合意し、その実現にむけて動き出していると伝えている。しかし、精神科医療においても、刑事法制においても根本的な欠陥があり、そのなかで、「間」の施設をつくることでは矛盾はさらに深まるのみなのは明らかで、容認出来ない。

1)精神科医療の問題
 (1) 我が国の精神医療は、一般科医療よりもはるかに基準を低くおさえられた、医療法特例のもとで、隔離収容主義によって規定されてきており、その構造はなお、改善されていない。
 (2) 第四次医療法改正により、大学病院、総合病院の精神科は特例からはずれたが、措置入院をうけいれる施設として位置付けられている、都道府県立精神病院、措置指定病院は特例のままに残された。
 (3) 措置入院はかつて経済的理由による公費負担の強制入院として、30パーセント台にあったが、現在は1パーセントに激減している。そのため、精神医療関連予算は1980年には900億円にあったものが、現在は500億円強の水準に落とされている。しかも、95年の精神保健福祉法改正において公費負担原則が保健給付原則に変えられた。刑事法政の側から、精神科に移行する受け入れの入院制度である措置入院ですら、我が国は貧困な差別的医療のなかに捨て置いているのである。

2)刑事司法における精神障害者の処遇と問題
 (1) 精神保健福祉法の検察官通報25条は、検察官の起訴便宜主義によって、不起訴処分や簡易鑑定により極めて安易に、法に触れた精神障害者を、精神科医療に流しこんでおり、その問題が、精神科医の無責任や精神障害者の危険性のみが強調されることにつながっている。
 (2) 公判において裁判官は検察の問題を検証する機能を失い、検察の有罪率至上主義に迎合し、起訴前鑑定と責任能力判定において二重基準の状況にある。
 (3) 刑事施設における処遇と医療
 刑事施設においては多数の精神障害者が拘留されている。そこでの処遇と医療はその密室的官僚主義による、検証不可能性と、極めて、貧困な医療のもとにある。刑務所を出所する際も本人が望んでも医療情報を外部に漏らすことが禁じられている。医療も無く、アフターケアも無く、差別と貧困の社会に投げ出される状況では、病の再発を止めることができるであろうか。
 (4) 11年経過研究において、精神障害者と一般人の重大犯罪における再犯率の比較においても、精神障害者の再犯率はむしろ低く、また収容継続率においてもはるかに長期に精神障害者か高いことが示されている。
 (5) 被害者救済と、精神障害者の犯罪に対しての応報感情に安易に結び付けた議論は、近代刑法の到達した原則にもとるものである。被害者救済の貧困は別個に克服すべきものである。

3)改革の方向について
 医療と刑事司法の双方において、基本的な矛盾を克服するという原則で改革を実施することが重要である。報道されているような特定病院構想や、出口、入り口の司法関与で実質が改善することはあり得ない。
 (1) 国立、都道府県立精神病院、措置指定病院のみならず精神病院の医療法基準への移行をすみやかに進めなければならない。措置入院のみならず、救急医療、児童思春期、薬物問題など政策的バックアップが必要な問題があり、特例医療で実施することができるはずがないのである。その際、医療費の手当も不可欠である。
 (2) 措置入院は行政処分としての強制入院であり公費負担原則を回復しなければならない。退院、出所後の精神科地域援助体制が整備されなければならない。
 (3) 刑事システムの改革が不可欠である。


平成13年6月24日

大阪児童殺傷事件に関連して、重大犯罪を犯した精神障害者対策に関する見解

(社)日本精神神経学会
精神医療と法に関する委員会
委員長 富田 三樹生

はじめに)
 本事件は、いたいけな多くの子供たちを残虐に殺傷した事件として、私たちは深い悲しみと衝撃を受けており、被害にあった子供たちとそのご家族に深い哀悼の意を捧げる。そして、私たち精神科医や精神医療に従事する者のみでなく、精神病を患い日々病と戦っている病者の方々とご家族も、深い悲しみと衝撃を受けている。病者の中には、この事件の世間の反応や報道によって、世の中に対しておびえ、不調を訴えるものが多数にのぼっていることは、日々の臨床のなかで私たちが直面していることである。しかし、この事件をきっかけにした政府、各政党、特に報道機関の精神障害者に対する反応に、精神障害者に対する恐怖や悪意をことさらに強調するものもあり、精神科医療に携わるものとして受け入れがたい。この事件をもって保安処分の導入を、いまだ事実があきらかになっているとは言えないにも関わらず、先走って論じることは、いままでの長く深刻な議論の結果を反古にするものであり認められない。しかし、小泉首相は高い国民の内閣支持率を背景に、保安処分の導入も検討すると言明している。また、一部の新聞は、新法による重大犯罪を犯した精神障害者のための特定病院を作るという方向に法務省、厚生労働省が動き出したと報じている。我々は深くそれを憂慮する。この問題は、1970年代から80年代にかけての刑法改正問題のなかでその論点はほぼ出尽くしていたと考える。また90年代の処遇困難者専門病棟構想においても形を変えて登場し、それらの構想の致命的欠陥によって挫折したのである。それらを踏まえ、さらに現在の時点で、そのような保安処分構想や特殊病院必要論は、我が国の現実をふまえていないものであることを論じ、結局、精神医療と刑事司法の各々の矛盾を正面から解決して行くことこそが、問題に立ち向かう原則であり第一歩であることを示したいと思う。

1)精神医療の現状から。
 (1) 我が国の精神医療政策は一般科よりもはるかに、基準を低く設定した医療法特例病院に閉じ込める隔離収容政策に極端にかたよっていることは、その骨格においていまだ改善したとは言えない。強制収容によって医療を行う以上、時代の水準以上の医療が保証されなければ法理上許されることではない。その人権侵害は国際的にも強く批判され87年の精神衛生法改正に結び付いたことは周知のことである。しかしその改正は、医療に質の向上とは無関係であったのである。毎年明るみに出る精神病院の不祥事事件は、我が国の精神科医療に構造的欠陥があることによっているということは、精神科医療関係者には常識に属していることである。かつての刑法改正−保安処分や処遇困難者専門病棟構想に対する反対は、そのような状況を放置したまま、刑法に従属した形で、保安を目的にした予防拘禁制度によって精神医療を組み立てようとすることに対しての強い批判であった。それは社会と国家による精神障害者の差別によって起こっている矛盾を、さらに差別を上乗せして解決しようとするものであり、
問題がさらに深刻になることが危惧されたのである。現に今でも、精神障害者の医療や社会復帰施設などを建設しようとすると、反対する住民運動が公然と起こることがあり、憂慮すべき社会的風潮が存在するものである。


 (2) 政府は第四次医療法改正において、ようやく、大学病院、総合病院においての医師、看護婦(士)の医療法の特例を一般化なみにすることとした。しかし、精神保健福祉法において、措置入院を受け入れる重要な位置を与えられている国立または都道府県立精神病院や民間措置指定病院を含む単科精神病院においては、今まで通りに据え置いた。1998年のデータによると、自治体立単科精神病院の100床あたりの医師数の平均は3.8人に過ぎない。民間措置指定病院においては、医療費の手当が無いのであるから、医師数等においては特例以上を雇用する余地は当然あるはずが無い。政府は、各種の通報制度により刑法の領域との境にある、知事による措置入院のための施設すら、21世紀の現代においてもこのような事態に放置している。今回の医療法改正で一般科なみとなることになった総合病院精神科にあっては、救急医療や合併症治療などに大きな役割を期待されている。しかし、それが公立ないしは公的病院であっても、一般科なみの医療費の手当がなされなけば当然赤字が急増することになり、不採算部門として切り捨てる動きが広がっている。もともと医師等の不足から医療法特例が制定され、いずれ改正されるはずのものが、四十余年にわたって放置されているのである。今年一月より始まった法務省、厚生労働省による検討会においても、現在ある制度のこの基本問題が主観的に論じられることが無いまま、特別対策の是非のみを論じているのは不思議と云わざるを得ない。そしてまた特例医療が、精神病院の設立主体である民間医療法人のみならず、国、地方自治体共に、少ない費用で精神病院を運用できるという、云わば財政的既得権益として固定化されているために、この問題を改革することへの動機は低く、むしろ抵抗が根強いということが理解される必要がある。ハンセン病の隔離政策の反省を小泉内閣と国会はあげて行い、国民の喝采を浴びている。しかし、この、医療法特例制定の時、病院にあらざる病院に収容されることになったものは、社会的差別の対象であったハンセン病、結核、それに精神病であった。そして今次医療法改正において、特例としてのこされたのは精神病のみであることを政府はどう説明するのであろうか。政府と国会は、ハンセン病に対する不作為の行為を深く反省したが、精神障害者に対する医療の平等の保証を、半世紀にわたって踏みにじり、なおそれを続けようというのを、どのように説明するのであろうか。我々は、この二重基準を、精神障害者と共に抗議したい。


 (3) 措置入院制度の近年の変遷について概括しておこう。60年代の精神病院の急激な増床政策の過程は、措置入院は入院病床の30パーセント台をキープしていた。その入院のための公費負担は精神医療政策費用の大きな部分を占め、全体でほぼ1980年の頃は900億円に達していた。しかし、70年代から、80年代の精神医療改革運動の後押しによって、措置入院は急速に減少したのである。措置入院は本来の「自傷他害のおそれ」という要件に限定する政策の普及によって措置入院率は急速にかつ著しく減少し、入院者数の1パーセント程度となり、精神医療施策予算はその分極端に減少した。厚生省はその減少部分を精神障害者の福祉施策に回すとしたが、その額は100億強に過ぎない。措置入院費に変わって、増えたのは通院費公費負担(32条)であるが、現在ほぼ350億円に達している。それでも全体の精神科医療関連経費は平成11年で511億円という水準である。1980年当時で900億だったものが、措置入院の減少によって、ノーマライゼーションや隔離収容主義の克服を厚生労働省は叫んでいる現在、その実質において予算は40パーセントも削減されているのである。さらに医療費削除のために厚生労働省は公費負担の見直しを始めている。多くの精神障害者はこの制度のもとで、通院が保証され、デイケアなどによって、仲間をつくり、社会的場に出ていくきっかけを得ることができるようになっているのである。
 一方、1995年精神保健福祉法改正において、厚生省は措置入院の公費負担原則を保健給付原則に転換するという離れ業をやってのけた。それまでは知事命令による措置入院は行政処分と認識され、国と都道府県が費用を分担する公費負担は当然であるとされていたのが、公費削減のためにくつがえされたのである。政府は、今でも低水準であるのにその医療基盤を切り崩しながら、保安処分や特別病院の必要を言い立てようとしており、到底容認できない。

2)刑事司法における精神障害者の処遇と問題
 (1) 逮捕または保護から検察官による起訴・不起訴までの過程(24条通報から25条通報)
 警察の段階で検察にあげるかどうかでふるいがかかる。精神病歴の有無によって検察に上げないままに処理されることも多い。精神病院における事件の場合は事件そのものの捜査も不十分にされ、それが殺人や深刻な傷害などの大きな事件であっても、刑事手続きがあいまいにされることはすくなくない。覚醒剤の急性中毒(使用そのものが違法である)で他害行為があった者についても、警察は精神科救急の場につれて来るだけで、覚醒剤取締法に基づく刑事手続きを怠り、病院が尿検査を求めてもそれを拒否することがしばしばある。
 検察官の起訴便宜主義による不起訴処分のありかたにも大きな問題がある。極めて簡便な起訴前簡易鑑定にもとづいて不起訴処分になされることが大多数を占めている。事件の事実そのものがあいまいにされたままで措置入院にまわされることも少なくない。不起訴処分にされた上で25条通報された場合は、措置鑑定如何によって、当然、なんの手当も無く、放置されることになるが、それは鑑定のせいでは無く、検察のせいなのである。鑑定の基準もあいまいで、一部の検察に都合のよい精神科医に安易にまわされることもあり、また検察官の意図に沿わない鑑定はその意図が達成されるまで鑑定が繰り返されるという事例も報告されたことがある。起訴前の鑑定が専門家の間で検証されることも殆ど不可能である。疑いの残る事例については、起訴の前という、事実が明らかにされず、弁護士の確保も制度上なされない段階で処理されるのではなく、裁判の場で究明されるべきであろう。多くの例が起訴前で処理されるという現状を当面維持されるのであれば、せめてこの段階で、簡易鑑定でなく本鑑定をより多く行うようにすべきである。司法関係者の省力化や鑑定料の節減のためにこれらが行われていない現状が事態を混乱させているのである。司法におけるこれらの問題が整理検討されないままに精神科医療に流され、問題が事例化すると精神科医の責任や精神障害者の危険性のみが強調されるということが繰り返され、一足飛びに特別施設の必要論に飛躍する傾向がある。起訴便宜主義の全てが悪いとは言えないが、事実の究明がなされないうえに、司法の密室性による検証の不可能性、基準の不明確さなど、問題は山積している。それに裁判を受ける権利という問題等も浮上しており、司法の矛盾は限界に達しているというべきである。
 この段階における精神障害者の問題では自己防御能力の問題もある。代用監獄として国際的に批判が強い留置場での取り調べは、精神障害者のみならず冤罪の温床である。被疑者の段階での弁護士は、是非必要であるが国選弁護人制度は被告人の段階からのものでしかない。


 (2) 裁判の段階
 国選弁護人制度があるが、その報酬は少なく、熱意ある弁護士にあたらない被告はみじめなことになるということも云われている。検察と裁判官の癒着の問題は最近明らかになり問題になったが、この問題は裁判の公正さの維持に重大な疑念を持たせている。検察は事実究明より有罪率の高さにこだわり、裁判官は司法または行政へのチェック機能を喪失しているのではないかという疑念は多くの市民住民運動の領域でも云われていることである。公判における責任能力鑑定については検察官によって起訴された以上、責任能力ありとされることが圧倒的に多く、起訴前鑑定と二重基準であるとの批判は多くの論者が指摘している。これも裁判官の検察へのチェック機能の喪失を現している。
 司法上の責任能力判断は結局、精神科医ではないのであるから、裁判官、検察官、弁護士の精神障害者の問題の認識の改善が強く望まれる。


 (3) 刑事施設における処遇と医療
 留置場、拘置所、刑務所などの刑事施設のなかに多数の精神障害者がいることは法務省も認めている。刑事施設においては、設備やスタッフの不足、本人への情報開示の不十分さ、治療よりも保安重視、職員への精神医学の教育の不徹底などにより、治療は非常に低いレベルにとどまっている。これらの問題は一般刑務所でより深刻であるが、医療刑務所にもあてはまる。本人が医療を求めても職員が認めないことが非常に多い。施設としての管理上の問題が無ければ精神病状態にあっても放置無視されることが多い。そこにおける医療は医療法や精神保健福祉法は適用されることが無いので、完全に刑事施設の側の都合が許される範囲での限られた医療しかうけることができない。病院送致も監獄法、刑事訴訟法上可能だがそれが利用されることはまず無い。それを利用し得る条件も整備されていない。
 また刑務所等を出所する際には、財政的な援助を始めとした何らのケア無く、場合によっては住居も無いまま、一般社会に出されるのである。再犯率を云々することは、刑を終えた者に対する施策との関係で論じるのでなければ、文明国の態度とは言えない。刑事施設の中での治療については、仮に本人が求めても、最終処方すら外部に出すことが事実上禁じられている。英国のシステムがモデルとして導入が主張されることが多いが、そこでは、刑事施設に拘禁されている者に対する医療と人権の保証は重要なものとして位置づけられ、弁護士や精神科医は外部から恒常的に入っている。我が国の密室主義、官僚主義によって密閉された、非人道的な処遇と貧困な医療とは根本のところで異なっているのである。このような刑事施設での処遇と医療の改善を放置して、それとの関係が不可分の特別施設を作ろうという発想は明らかな倒錯といわざるを得ない。我が国の、この領域での実践と議論の積み重ねの中から、学ぶべきものを学び、取るべき道を探っていくべきであろう。
 法務省人権擁護推進審議会は答申を5月25日に出したことが報じられている。そこにも不十分ながら公権力による人権侵害からの救済についても触れられている。我が国の刑事施設の現状はとうてい文明国のものとは言えないのである。


 (4) 精神障害者と一般人との再犯率についても、意図的にか差別的にか誤解があると思われる。ある報告(触法精神障害者946例の11年間追跡調査第一報−山上皓他−犯罪学雑誌61巻第5号−1995)によれば、殺人では、一般犯罪者の方が、精神障害者の4倍近い再犯率を示していると述べられ、凶悪犯罪全体においては、両者に差が無いと明言されている。同じ論文において、殺人犯で11年後に収容継続中であったものは、一般で5.6パーセント、精神障害者で、23パーセントと報告されており、精神障害者の野放しキャンペーンは根拠が無いことが示されている。重大犯罪で起訴された場合、その殆どが、有罪−責任能力がありとされ、または限定責任能力ありとされている。そのような受刑者が刑務所に入る場合は当然、その内部での医療が問題になるが、その現状は上で述べた通りである。


 (5) 被害者救済との関連で「厳しい」対応を結び付けようとする論理が専門家からもでてくるのは理解に苦しむ。被害者救済を殆ど実施しないままにして、応報感情に便乗して冷静な対応を阻害するやり方は、安上がりで実効性の無い立法措置でお茶を濁そうとする事で済ますことになるだけである。被害者の応報感情と加害者に対する刑罰は直結しないがゆえに国家による司法制度が存在するのであり、その根幹を忘却する議論は認められない。
 以上のように刑事システムの問題は深刻で多岐にわたっており、それらの問題が未整理のままに患者が精神医療に流されてくることが多いのである。このような問題の改革に言及する事なく、精神医療や精神障害者への恐怖や差別を助長するような「専門家」が後を断たないのは残念なことである。欧米において、いわゆる保安施設やそれに類似する特別病院があるのも事実である。しかし、我が国における状況は以上のように、あまりにも矛盾に満ち、基本のところで、差別と施策の貧困が強固に根をはっている。もしこのまま、「立派」な特別施設ができるとすれば、そこはたちまちのうちに、精神医療と刑事システムの矛盾の集積の場所になり、スキャンダルの宝庫となるのは欧米の歴史が証明している。

3)改革の方向について
 以上の論点について、十分な議論と改革が必要である。しかし、この段階で取るべき方向は以下のようなことが不可欠である。
 保安処分や、その変形である特殊病院を作るべき現実的根拠は上に述べたように我が国には存在しないというべきである。また入り口、出口を厳しくするのみでは、入院施設の内部は矛盾がたまり、事態を悪化することになりかねない。


 (1) 今回の医療法改正は上記のようなものに終わったが、原則に帰り、国立、都道府県立精神科病院、それに措置指定病院は全て、すみやかに最低限一般科と同一の基準を採用することとして、その実施のためのタイムスケジュールを作成するべきである。その際、当然、指定病院以外の病院も同一の基準に満たすことという原則を踏み外すべきではない。何故なら、精神科領域の問題は山積しており、「自傷他害のおそれ」のあるものを治療するという治安上の要素のみが問題なのではないからである。精神科救急、児童思春期や薬物の問題なども重要なものであることは、広く認識されてきていることであろう。医師、看護という医療法上規定された狭義の医療職のみでなく、ソーシャルワーカー、心理技術者等のスタッフも十分必要である。それに伴って、診療報酬もそれに見合った水準に引き上げなければならない。公的役割が第一義的に期待される公的病院すらが、精神医療部分を不採算部門として切り捨てようというような医療環境を改善するのは、政府のなすべきことである。そのことによって精神科も差別の無い医療を提供出来る道に大きく踏み出すことになろう。しかし、その基準も「最低限」であり、現実に人手と、専門的技術の必要な患者をみている病院の疲弊を救い、格段に水準をあげるためにはそれ以上が必要であるが、それには犯罪対策のみに焦点化した新たな立法措置は不要である。国の財政的なバックアップにもとずいた現実的指針があれば改革は可能である。


 (2) 措置入院の公費負担原則を復活しなければならない。措置入院は限定されるようになって本来の姿になってきている。大都市圏とそうでない地域とは措置入院の状況は異なるのであるから、それに対応した施策をとることも必要であろう。それは施策の問題であり、法の問題ではない。特定病院をつくるのではなく精神科医療の向上のなかに措置入院を組み込むことが可能である。勿論、措置入院のみではなく、さまざまな領域で精神科医療の拡充の必要が叫ばれているのは上に述べたとうりである。また、医師、看護婦などの狭義の医療スタッフのみでできることでないことは上に述べた通りである。1)のBで述べたように、精神医療関係予算は、さまざまな政策的に必要な領域が拡大しているにもかかわらず、大幅に減少している。小泉内閣はこのような実体を放置して、精神障害者差別政策の仕上げをしようというのであろうか。
 特定病院をつくることで、医療と司法の矛盾が全てその病院に集中し、一般の病院の力を落とし、精神障害者へのラベリングが強化され、その病院で働く者の士気が著しく低下するであろう。
 今回の事件で、安易に措置入院の患者の退院が行われているという、キャンペーンが行われている。そのような事が無いとは言えないが、基本は医療施設の力を向上させることでなければならない。措置解除に疑義がある場合には、知事の指定する指定医の診察によるものでなければならないということになっている。また知事による実地調査も可能になっているのである。現在の機構が有効に働いていないのであれば、それは行政の問題でもある。
 しかし本当に必要なのは、精神科地域援助体制の拡充である。出口をしぼっても、出た社会で、差別と孤立に囲まれていれば、再発、破綻があってもおかしくはない。社会的、臨床的現実をみつめ、実質の拡充こそが取るべき道である。


 (3) 刑事法制の上記のような現実的問題点を、検証可能な公開性のなかで議論ができるようにすることが必要である。刑事施設の前近代的密室的官僚性を打破し、そのなかの精神科医療を一般医療とともに充実させること。それとともに病院送致が可能なシステムを作る必要がある。そのためには刑事施設の人権擁護のための運営機構が確立されるとともに、受け入れる精神病院の機能の拡充が必要である。現在厳しい状況の中でこの領域の実践を行っている病院は、そのノウハウを生かしながら、一般精神科の医療の充実の中でこの領を行うことが、最もよい方法選択ではなかろうか。そのことによって、措置入院やそのほか、政策的に補強が必要な分野の医療にあっても、公的病院、民間病院の間で協力関係が可能になろう。また、協力関係が、各々の医療機関の疲弊を防ぎ、士気の向上にも役立つであろう。以上が、精神障害者の社会参加を進め、ひいては社会の安定のために必要な原則である。


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